体験格差は、非認知能力の格差にもつながる

運動部に入れない、行事に参加できない、夏休みの思い出がない——。「贅沢」でも「可哀想」でもない“体験格差”の問題とは_img0
写真:shutterstock

体験格差が他の格差と比べて贅沢だ、という批判を浴びやすいのは、学習格差等と違って、将来の所得との関係など、影響が可視化されにくいからかもしれません。しかし、体験をできないと可哀想、というレベルではなく、体験格差は非認知能力(IQや学力以外の能力)の格差につながる、と指摘する声もあります。

社会情動的スキルといって、「目標を達成する力」「他者と協働する力」「情動を制御する力」において、以下の指摘がされています。

米国における研究は、音楽のレッスン、ダンスのレッスン、舞台芸術活動、芸術のレッスン、スポーツ、放課後のクラブに参加する小学生は、こうした活動に参加していない者に比べ、より高い注意力、秩序、柔軟性、課題に対する粘り強さ、学習における自主性、学習に対する意欲を見せることを示している。(『体験格差』今井悠介著 講談社)

社会で生きていくのに必要なのは学力だけではありません。忍耐力やコミュニケーション能力、目標を立ててやり抜く力などが必要です。そういった力は、学校外の体験で育まれていくものなのではないでしょうか。

 


「思い出」が少ない寂しさ…体験がなくて辛かったこと

運動部に入れない、行事に参加できない、夏休みの思い出がない——。「贅沢」でも「可哀想」でもない“体験格差”の問題とは_img1
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筆者が体験の機会がなくて辛かったことは、まず思い出が少ない、ということです。長期の休み明けにみんなが話す思い出のエピソードが自分には少ない。それがすごく寂しかったことを覚えています。

他にも、マナーを身につける機会が少なかったと感じます。例えば、外食やいろんな行事に参加することで、自然と大人の振る舞いを見て、マナーが身についたりするものです。大人になってからもナイフとフォークの使い方などがわからず苦労しました。