フリーアナウンサーの住吉美紀さんが50代の入り口に立って始めた、「暮らしと人生の棚おろし」を綴ります。

黙々と農作業をし無の境地へ…筋肉痛でも気分は爽快!40代からのライフワークが「米づくり」になった理由【住吉美紀】_img0
 

結婚してから、毎年ライフワーク度が増し続けているものがある。それは「米づくり」だ。
義理の実家の田んぼでの今年の収穫作業が、先日無事に終わったばかりだ。作業の合間のご飯はもちろん、新米。水分たっぷりでプリプリ、見た目も艶やかに輝いていて、口に運んだ瞬間「おいしーい!」と大声が出てしまった。毎食お代わりしてしまうほど美味。炊き立ての新米って、どうしてこうも幸せを感じるのか。

義実家は岩手奥州の地で200年以上お米をつくってきた家で、義父は9代目にあたる。今も2.2ヘクタールほどの田んぼで米をつくっている。これは結構な広さで、農繁期の作業はひとりでちゃちゃっとできる量ではない。子世代、孫世代が必ず年に数回実家に集結、3世代で力を合わせ、米を生み出している。

黙々と農作業をし無の境地へ…筋肉痛でも気分は爽快!40代からのライフワークが「米づくり」になった理由【住吉美紀】_img1
田んぼの農作業は元気になる。

結婚した当初、この規模感をちゃんと理解していなかった。私も毎週末、仕事があった。「農作業があるから」と言って岩手に帰る夫を、「はーい、私は仕事で行けません」と軽く送り出していた。
しばらくして週末の仕事がなくなり、夫に同行し、驚いた。物凄い作業量、しかも体力勝負の仕事ばかりではないか。同時にいくつもの手が必要だ。義父に、お米の量はどのくらいなのですか、と聞くと、12トンほどだと言う。そんなに多いのか! これは確かに両親だけでは無理だ。そこから、私の意識がガラッと変わった。

私が日本の稲作の現場を初めて知ったのは、NHKアナウンサーとしての初任地、福島でだった。東北6県に赴任した、入局1、2年目の若手アナウンサーでチームを組み、それぞれが自分の県内を取材し、「東北の米づくりの現状とこれから」「東北人が生き生きと暮らせている理由」というテーマで2本のラジオ特番を作った。

 

私は福島県内で先進的な取り組みをしている、あるいは強い信念を感じる米づくりをしていそうな農家を探し出し、数十軒ほど片っ端から訪ねた。それまで都市部にしか住んだことのなかった私は、そこで初めて日本の農業の現場と接し、自然と向き合う苦労、日本社会の中で米づくりをする上での悩み、それでも前向きにチャレンジしていく力強さ、工夫をして美味しい米をつくりだす面白みに触れた。

まだ学生の雰囲気が残る私が伺うと、「あらぁ、アンダ(あんた)若いのにタイヘンね」「ひとりでキダ(来た)の? たいしたこったなぁ(偉いね)」と皆さん温かく迎えてくださった。米づくりの基礎からアレコレと伺うと、「若い人が興味を持ってくれて嬉しい」と、漬物とお茶を出してくださり、辛抱強く質問に付き合ってくださった。

それまで農家は“黙々と植物と向き合う仕事”というイメージだったのが、実はむしろ“経営者”で、状況に合わせてクリエイティブな経営判断を繰り返しながら日本の食を支えている、社会の底力であることを実感した。