フリーアナウンサーの住吉美紀さんが50代の入り口に立って始めた、「暮らしと人生の棚おろし」を綴ります。
母も歳を重ねる中、いよいよバンクーバーの実家を手放すことになった。最後に実家で暮らしたのは既に30年以上前なので自分の荷物はほとんどなかったが、それでも私の「思い出箱」があるというので、整理しに帰った。
地下の倉庫に入れたままになっていた段ボール。両腕で抱えると顔の半分が隠れるほどの大きな箱だった。中身はうろ覚えだ。部屋に持って上がって、じっくり向き合うことに。
蓋を開けてみると、
小学6年生から暮らした神戸で、街で見かける制服に一目惚れしたことが大きな要因となり受験したのが、中高一貫の神戸海星女子学院。紺のブレザーと膝下丈のスカート、白いブラウスの胸にはリボンが付いていて、ベレー帽を被って完成する憧れの制服だった。高一でカナダに引っ越すまで4年弱着用した、青春の詰まった制服。それが、ちゃんと冬服、夏服、1セットずつ、それにカバンやベレー帽などの小物まで綺麗に揃っていた。なんてかわいい制服だろう、と改めて眺める。
はて、どう処そうか。もう二度と着て出かけることはないし、持っていても箪笥の肥やし。でもここまで30年以上大切に取っておいたことを無駄にしたくない。迷った結果、一度着てみることにした。
ちゃんと入った。ボタンもはまる。リボンを丁寧に結び、ベレー帽を被ると、わあ、懐かしい。鏡の中の自分には流石に時の経過を感じたが、制服自体は当時のまま、やっぱり唯一無二だ。「敬意を表して、徹底しよう」という思いで、母の白ソックスと黒い革靴を借りて、革カバンまで持ってさながら通学スタイルになり、セルフタイマーで自撮りをした。
ひとりでそんなことをしていたら、「アンタ50歳で何してんの」と母。夫は「70歳でも着てみなくてもいいのか」と茶化す。しかし、毎日着ていた制服の記録を、当時はなかったデジタル・クラウドに残せたことで、別れの覚悟が決まったからいいのだ。
一度着てみたのが意外に良かった。神戸でのあの10代の日々の空気感が、一気に蘇ったのだ。毎朝7時12分の電車に乗り、学校のある阪急王子動物園駅の改札外で仲良しの友達と待ち合わせたこと。通学路の六甲山地の麓の坂が、毎日きつかったこと。お昼にねじパンを買うために中庭の売店まで走ったこと。学院祭に向けて友達とバンドを結成したこと。校舎の上のマリア像が涙を流すという噂があって、目を凝らして眺めたこと。
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