「演劇」を活用し、さまざまなコミュニケーションで教育活動を行ってきた劇作家で演出家の平田オリザさん。大学入試改革にも携わっている平田さんは、演劇を学ぶ初の国公立大として、2021年度に開校する予定の国際観光芸術専門職大学(仮称)の学長就任も決まっています。

前回は、子どもの学力を底上げし、さらに親の所得や学歴などに起因する“教育格差”を埋めるうえでも重要なカギとなる「非認知スキル」について解説しました。さらに近年、教育の現場では、上越教育大学の西川純教授が提唱している「学び合い」という言葉が話題となっているそうです。
「非認知スキル」と「学び合い」、あまり聞きなれない2つの言葉から導き出される、これから目指すべき教育のカタチとは。そして平田さんがかねてより提唱している演劇教育の最大の利点とは、いったいどのようなものなのでしょうか。

=====================

 

教師が教え込む授業から、子ども同士で学び合う授業へ

読書に次ぎ、子どもの教育格差を生む「経験」とは?_img0
 

「学び合い」の定義は以下の通りである。

・学校観 学校は、多様な人と折り合いをつけて自らの課題を達成する経験を通して、その有効性を実感し、より多くの人が自分の同僚であることを学ぶ場である
・子ども観 子どもたちは有能である
・授業観 教師の仕事は、目標の設定、評価、環境の整備で、教授(子どもから見れば学習)は子どもに任せるべきである (『学び合い』wikiのHPより)

具体的な指導方法を、私なりに簡潔にまとめるなら、教員が一方的に教え込む授業から、生徒同士が学び合う授業へと質の転換を図るということだ。私はこの「学び合い」の本質とは、次のようなものだと思っている。

生徒・学生は教員の話など、ほとんど聞いていない。私自身、最初の発話は三割も聞いてくれれば御の字だと思っている。だからこそ、指導力のある先生は、大事なポイントは繰り返したり板書をしたりプリントを配ったりしてフォローしてきた。しかし、子供たちは、友だちの発言には強い影響を受ける。演劇の授業をしていると、何より子供たちは他のグループの成功や失敗から学ぶ点が多い。

実際に教育学の世界では、教員が一方的に話す場合、長期記憶に残るのは五%程度だという説もある。これが、読んだり書いたり、映像を入れたりすると二割、三割に上がり、さらにディスカッションや協働作業を入れると五割を超える。そして何より長期記憶に結びつくのは「他人に教える」ことだと言われている。「学び合い」とは、このような理論を実践に移した活動だと言えるだろう。

先に掲げた非認知スキルの高い子供たちは、塾に行っていなくても成績がいい。それはおそらく、「学び合う力」が高いのだと思う。学校で、同じ45分の授業を受けていても、教員からだけ情報を得ているか、あるいは360度、全方向から情報を得ているかの違いだとも言える。

「学力」とは文字通り、「学ぶ力」だ。SESが低くても学力の高い一群は、「学ぶ力」「学び合う力」を持っている。だから塾に行っていなくても自分で学びを組み立てることができる。

 
  • 1
  • 2