婚約は浩宮さまの熱意が推進力
ようやく雅子さんの気持ちが固まったのは、12月12日のことでした。東宮仮御所で、雅子さんは浩宮さまに結婚を承諾を伝えました。その1週間後、赤坂御所で上皇陛下と美智子さまに対面し、二人は婚約することになったのです。
その年の大晦日、
「長い道のりでした」
と、浩宮さまは友人に、ぽつりとこう漏らしたといいます。
初めての出会いは雅子さん22歳、浩宮さま26歳のとき。その間には「99パーセント結婚はあり得ない、完全に消えた」という時期もありました。
平成5年(1993年)1月6日、皇太子妃報道に関する申し合わせが解除され、午後8時45分、テレビ、ラジオにご婚約内定のニュースが一斉に流れました。
柳谷さんは、「私がやったことは、小さな歯車のひとつ」と謙遜しながらも、
「お二人は頻繁(ひんぱん)に電話のやり取りをしていました。私は今も外務省によく行っているし、小和田家をよく知っていることで頼まれたのでしょう。ご婚約は皇太子浩宮さまの熱意が推進力でした」
と振り返りました。
思えば、昭和61年(1986年)10月18日、スペインのエレナ王女の歓迎レセプションでの出会いから6年3カ月が経っていました。
皇太子浩宮さまは、雅子さんへの一途な気持ちを貫かれたのです。
そうして、結婚内定報道の2週間後の1月19日には、お二人そろって記者会見に臨まれます。そこでテレビ画面に映った雅子さまの圧倒的な美しさに、国民はみな目を見張ったのでした。
美智子さまから雅子さまへ 三部作1 美智子さまの想いが雅子さまへ 雅子妃誕生
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外交官だった小和田雅子さんは、皇太子・浩宮さまに見初められて皇室に入ることに。雅子さまの生い立ちやから皇太子の熱い求愛、ご成婚までの軌跡が余すところなく盛り込まれた作品。雅子さまと同じく、平民から皇室に入られた美智子さまのお姿を交えて描きます。
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涙の流産を乗り越え、愛子さまをご出産された雅子さまの苦悩と喜びのすべてが一冊に。皇室という見知らぬ世界に入り、お子さまを生まなければならない重圧を、雅子さまはどのように乗り越えたのでしょうか。美智子さまから雅子さまに伝える母の想いを織り込みます。
美智子さまから雅子さまへ 三部作3 美智子さまもお支えに 雅子さまご成婚十年の苦悩
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愛子さまをご出産されたのち、適応障害になり長期の療養生活を送られた雅子さま。ご成婚から10年を迎え、病と闘われているご様子に触れた作品です。雅子さまをやさしく包み込む、皇太子浩宮さまと美智子さまの愛に胸打たれます。
敬称・名称・地名・施設名・大会名・催し物名など、
その当時のものを使用しています。
写真/渡邉みどり(クレジットのないもの)
構成/高木香織、片岡千晶(編集部)
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