マスコミが押し寄せ、ワイドショーで非難される日々

 

二人は結婚13年で離婚。しかしこのとき、マスコミからはあることないことを言われ、小柳さんは壮絶なバッシングを受けることになってしまいます。

「今だから話せることですけど、あの時期は本当に葛藤の日々でした。
あまりにメディアに叩かれて、『私はこんなに叩かれるために歌手になったんじゃない、今まで生きてきたんじゃない』と毎日思っていました。正直言いますと、自殺を考えたこともあったほど。

でも、そのときも母が私を支えてくれたんです。といっても慰めたり励ましたりしてくれたのではなくて、全く動じない、という方法で。普通の母親だったら娘がそんなふうに叩かれていたら、半狂乱になりそうですよね。でも私の母は落ち着いていて、ただひと言『ルミ子、信じとうよ。私の娘やけん、こんなことで負けるはずがなか』と言ったんです。
それで私は目が覚めたんですよね。何のために今まで頑張ってきたのか、と」

自宅にはマスコミがカメラを持って押し寄せ、連日ワイドショーで非難される……。それでも小柳さんのお母さんは、小柳さんに会いに来ることはなかったそうです。

「普通だったら娘がそんな目に遭っていたら、福岡から飛んできそうなものですよね。マスコミは家に押し寄せるし、毎日ワイドショーであれこれ言われるし。そばにいて見守ってあげるほうがラクじゃないですか。
でも母は、きっと自信があったんでしょうね。『こんなことで負けるようには育てていない』と。あれがオタオタして東京に出てきて、一緒に泣いてくれるような母親だったら、私も一緒になって弱っていたかもしれません。

あのときの状況って、例えるならば、荒波に小舟が浮かんでいてそこに私と母が乗っているような感じだったと思うんです。そこで母が『大丈夫⁉』と私のほうに寄ってきちゃうと、舟は傾いて沈没して二人とも溺れてしまう。
だから母は私から距離を置いて、バランスを取ることで舟が転覆しないようにしていたんだと思います。本当に、すごい母親だったと思います」

悩んだときほど気持ちを真っ白にして


壮絶なバッシング体験を経た離婚でしたが、自分の決断に後悔はないと小柳さんは言い切ります。

 

「鬼のような女なんて言われて、いろいろ私も言いたいこともありますけど、真実は墓場まで持っていこうと決めています。やはり自分が選んだ人ですから、その人を否定するようなことは絶対にできない。
結婚も離婚も最終的には自分が決めたことですから、その責任は自分でとるしかないんです」

そのような苦悩を乗り越えた経験があるだけに、小柳さんは同じ悩みを抱える人から相談されることが増えたそう。

「そのときに必ず言うのは、『とにかくいろんなことを取っ払って自分の気持ちに素直になって決断しなさい』ということなんです。
50年という芸能人生、そして68年という人生を経て今思うのは、やはり迷ったとき、悩んだときこそ気持ちをニュートラルにすることの大切さ。しがらみとか、世間体とか、そういう雑念を全部振り払って心を真っ白にしてほしいんです。
そうすると、必ず内なる声が聞こえてきますから。そして聞こえてきたら、余計なことを考えずにそれに従うこと。ひょっとしたらその決断は傍目からは無謀に見えるかもしれませんが、そうするときっと後悔はしませんから。
人生、反省はいいけどやっぱり後悔は良くない。私も様々な転機を経験してきましたけど、常に心の声に従ってきた。そして今、後悔は全くありません」

取材・文/山本奈緒子
撮影/Junko Yokoyama (Lorimer management+)
構成/片岡千晶(編集部)

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