ブログ「尼のような子」が注目を集め、エッセイストとして活動を続ける少年アヤさん。傷つきながらも自身のセクシュアリティや過去と向き合い、繊細で研ぎ澄まされた文章で表現し続けてきた少年アヤさんの最新エッセイ集『ぼくの宝ばこ』が発売中です。これは、女性漫画誌『ハツキス』に連載されていたエッセイを大幅加筆したもので、幼い頃の少年アヤさんが大切にしてきた少女マンガ誌の付録やファンシーグッズ、かわいいレターセットや縁日の屋台で売られていたペンダントなど、さまざまなモノたちとのエピソードが綴られています。でも、キラキラと輝く、愛おしい思い出が詰まった宝ばこには、少年アヤさんがずっと感じてきた息苦しさも隠されていました。

「ぼくはかぐわしいものが好きです。きらめくものが好きです。
それだけのことで、うんこみたいな扱いを受けてきました」

どこかレトロな雰囲気が漂う『ぼくの宝ばこ』の表紙をめくると、「ほんとうを生きたい」の冒頭のこの一文に心を突き刺されます。男の子がかわいいものや美しいものを好きなのはいけないことなのか。ただ好きなだけなのに奇異の目で見られ、男の子たちの輪から追い出されてしまう。それを小さな子どもが無邪気に連呼する、“うんこ”という言葉で表現せざるを得ない現実。少年アヤさんが物心ついた頃から抱えてきた痛みがひしひしと伝わってきます。

 

うんこみたいに扱われ続けていると、自分でもうんこそのものに思えてきて、やがては絶望すらも感じなくなっていく。沈黙を続け、干からびてしまえば、男の子たちの聖域の片隅に存在することはできる。「おかま」としてピエロのように自虐的に振る舞ってみて笑われてはみたものの、それでも暗澹たる気持ちからは抜け出せない。少年アヤさんの模索と葛藤はどこまでも続きます。

このような理不尽な構造はセクシュアリティの問題に限らず、この世界の至るところに存在しています。「こうあるべき」という価値観や、世間一般の常識、大多数の意見など……。女性もまた、人生のあちこちで自分の意思とは関係なく、突然聖域の外に追い出されてしまうことがあります。それは自分が悪いのか、いっそ自分を殺して相手に迎合したふりをするほうが楽なのか、声に出すこともできずに苦しんでいる人は少なくありません。だからこそ、少年アヤさんの言葉は、さまざまな立場の人たちの心に深く染み込んでいくのでしょう。

少年アヤさんは理不尽な世界を生き抜くために、自分だけのかわいいものやうつくしいもの、かぐわしいものをそばに置き、ときめく心を大切にしてきました。少女漫画誌の付録だった透明サマーバッグ、イラストがプリントされた絆創膏、セーラームーンのペンダント、レイアースの海ちゃんの人形などと、それらとの宝石のような思い出を。

そういえば、小さい頃にお気に入りだったものたちはどこに行ってしまったのでしょうか。今から見ればガラクタのようにしか見えないものは、いつしか目の前から消えてしまい、少しずつ大人に近づくにつれ興味の対象も別のものへと移っていきました。

でも、少年アヤさんは宝ものをかくまい続けていたとしても、腐ったり、色あせたりしてしまうことはない。ときめいた時間や手に入れたよろこびを白紙にすることは、だれにもできない、と本書の中で語ります。

「神さまでさえ立ち入れない聖域を、こころにたくさん持っているなんて、ぼくもなかなか勇敢じゃないか」

少年アヤさんが綴る、きらきらと輝きを放つエッセイは、まるでそれらが目の前にあるかのように丁寧に描写され、少年アヤさんの繊細な心の動きも相まって、読み手も自然とわくわくとした気持ちにさせてくれます。そして、そっと宝ばこを覗くような楽しみがあります。

たとえ周囲の人が眉をひそめたり、時には自分を攻撃してきたりしたとしても、好きなものを好きという自分の気持ちを愛おしく思い、大人になっても大切にし続ける少年アヤさんの勇敢さに、私たちも勇気をもらうことができるのです。

本作より「ほんとうを生きたい」「うばわれたりしないもの」「ぼくはセーラームーンになれた」を無料試し読み掲載いたします。

下記よりスライドしてお読みください。

『ぼくの宝ばこ』

少年アヤ 講談社

ファンシーグッズ、少女漫画、ふろく、宝石箱、ポーリーポケット、シュシューー。かぐわしいもの、きらめくものが好きな著者とおしゃべりしよう。好きなものを愛でることは、辛いときや疲れた日々に希望をもたらしてくれるから…。女性漫画誌『ハツキス』に連載されたエッセイに、大幅な加筆修正を加えて書籍化!