出世に興味のない女と、出世欲にまみれた男
「おー、進藤。来てたんだな」
馴れ馴れしい声に振り返ると、ガタイのいい体躯をした同期の堂島が早希を覗き込んでいた。
彼は過去に同じ編集部で働いていたこともあって仲の良い同期の一人である。今は早希がアラサーOL向けファッション誌のエディター、堂島はママ雑誌の副編集長という立場だ。
彼は時々、用もないのにこうして早希のところへやってくる。
無論、恋心があるとかそんな話ではない。彼はご自慢の美人妻と結婚していて娘もいる。早希に会いに来るのはただ、雑談を通して社内情報を仕入れたいだけだろう。
「なに?また油売りにきた?」
早希が冗談めかしてそう言うと、即座に「アホ。俺は暇じゃない」と返された。相変わらず口が悪い。
「スナップ撮影で紹介してもらったお前の友達、向こうから断ってきたみたいだぞ」
「え……!?」
堂島の口から出た、予想外のセリフに思わず絶句する。
脱毛症になってしまった親友・清水美穂の役に立ちたくて、早希はママ雑誌のスナップ企画に彼女を推薦した。
美穂はファッションもコンサバで冒険するタイプではないが、自分に似合うオシャレを知っている。「可愛いね、どこの?」と聞くと意外にもZARAやプラステだったりして驚くこともしばしばだ。
彼女がスナップに出てくれたら編集部も喜ぶ。何より美穂にとってもいいきっかけになるに違いないと思った。
彼女が脱毛症になった原因はおそらく夫にある。家に閉じこもらず社会と接点を持つことは、小さな一歩とはいえ救いになるはずだ。彼女も謙遜はしていたものの乗り気に見えた。それなのに、美穂のほうから断った……?
「そうだったんだ……ごめん、迷惑かけて。あとで友達に事情を聞いておく」
動揺し、視線を泳がせながら答えた。すぐにでも美穂に電話して理由を問いたい。おおよそ、あのモラハラ夫に反対されたんだろう。そう思うと苛立ちが募る。
「いや、まあ別にいいんだ。ただ一応報告しとこうかと思って。それからさ……」
嫌味の一つでも言われるかと思ったのに、堂島は早希の謝罪をさらりと流した。そしてすぐに話題を変える。どうやら彼は美穂の話をしにきたわけじゃないらしい。
「なに?」
意味深に口ごもる堂島。早希が怪訝な表情を向けると、彼はサッと周囲を見渡し大袈裟に声のトーンを落とした。
「お前さ、何か聞いてたりする?近々デカい人事があるらしいんだよ」
「……え、そうなの?」
正直なところ、早希は昇進や出世の類にまるで興味がない。
勘違いされがちなのだが、デスクやら編集長やらと肩書きをもらったところで給料は大して変わらないのだ。それなのに数字の責任を負うことになるし、管理職なんて現場に出られずつまらない。そんなの早希はごめんだ。
しかし堂島は違う。彼は昔から出世欲を隠さないタイプだった。きっと今も、自分が編集長の座を獲得できるかどうかやきもきしているのだ。
余計な競争に巻き込まれたくない。早希は努めて柔らかな笑顔を作りつつハッキリ断言しておいた。
「まったく何も知らない。私には関係のない話よ」
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