しかし、一方で、女性の高学歴化が進んでいるのに十分に男女平等に評価される職場が少なかったり、男性の長時間労働により結局家庭内でも家庭責任を妻に寄せることが合理的になることなどにより、条件さえ整っていれば男性と同じようにフルタイムで活躍できたであろう人材が、涙を呑み、時に意欲を冷却させてきたという事実もあります。
寺村絵里子編著『日本・台湾の高学歴女性』では、同じ東アジアでありながら、男女の賃金格差などで日本よりも男女平等が進む台湾と日本の女性の就労率や意識を比較。少しデータは古いですが2006年時点での大卒の高学歴女性の就業状態を見ると、日本では専業主婦が25%であるのに対し、台湾では5%。また女性が「妻にとっては、自分の仕事をもつよりも夫の仕事の手助けをするほうが大切である」と思うかどうかに対しては、台湾で賛成が6割を超えるのに対して日本は3割であるにもかかわらず、実際には家計補助的労働に携わる女性が多いことを指摘しています。
そして、私が調査や取材をする中でひしひしと感じてきたのは、とりわけ氷河期世代前後の女性たちは、悔しいことがあっても、自分は結婚や出産をできたこと、高い学歴やスキルがあることから「自分よりももっと大変な立場の女性たちがいる」「自分は恵まれている」と捉え、呑み込んだ涙のことについては口をつぐんできたということです。
私が2014年に『「育休世代」のジレンマ』で「勝ち組にも涙がある」と書いた時、随分多くの方から「勇気がありますね」と言われました。「家庭も手に入れて、責任のある仕事もしたいなんて言ったら、欲張りと思われる」「贅沢なことを言っちゃいけない」と思ってきた上の世代からは、私の主張はずいぶんと大胆に映ったようです。
でも、だからこそ今回の件で、当該ツイートに対して大量の反論や自分語りが出てきたことについては、当時の女性たちは何も言わなかったかもしれないけれど「もう私たちは黙ってはいない」という女性たちの意志を感じました。そのことへの敬意を表してくれる男性たちのツイートもいくつも見ました。
最初のツイートに対する拒否反応の全てが正しかったとは言いませんし、個人の言動をいたずらに責め立てるつもりはありません。ただ社会として、元のツイートのような見方が生じてしまう背景と、その裏にあった当事者たちの涙や声が明らかになったのは良い事だったのではないかと思います。
今も女性間の格差はあり、高学歴や専門的スキルのある女性、専業主婦になれる女性よりも、優先して救わなくてはいけない女性たちがいるというのは事実です。でもだからといって、前者の女性たちの悔し涙をなかったことにしておくべきとは思わない。本件は、ジェンダーによって雇用形態や働き方が固定化されず、仕事が正当に評価される社会へ一歩近づけるための1つの問題提起になったのではないでしょうか。
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