バブル時代。

1986年末から91年初め頃にかけて、街中が熱気と希望に満ち溢れた空前の好景気。

30年以上が経過した今も、伝説として語り継がれることのある“バブル時代”ですが、世代によって捉え方は異なります。

今回は、エッセイ『バブル、盆に返らず』を刊行された作家・甘糟りり子さんと、バブルネタで大ヒットを飛ばしたお笑い芸人・平野ノラさんによる、バブル対談を実現。

バブル期を実際に経験した甘糟さんと、当時はまだ小学生だったノラさん。社会の状況やさまざまな価値観が大きく揺らぎつつある今だからこそ聞きたい、二人それぞれの“バブル”とは?
 

甘糟りり子
1964年、横浜生まれ。幼い頃から鎌倉に暮らす。玉川大学を卒業後、アパレル会社勤務をへて文筆の道へ。クルマ、レストラン、ファッションなど、都会のキラめきをモチーフにした小説やコラムに定評がある。バブル世代の女性たちの40代を描いた『エストロゲン』(小学館文庫)や、現代に生きる女性やその家族が直面する問題を取り上げた『産む、産まない、産めない』『産まなくても、産めなくても』(ともに講談社文庫)は、読者の共感を呼びロングセラーとなっている。近著『鎌倉の家』(河出書房新社)、『鎌倉だから、おいしい。』(集英社)、『バブル、盆に返らず』(光文社)

平野ノラ
お笑い芸人。1978年生まれ。東京都出身。2011年にデビュー。ボディコンスーツに身を包み、ソバージュ&太眉のルックスで「ぶっとびー!」「おったまげー!」などバブル期のフレーズを連発するバブルネタでブレイク後は、テレビやラジオでも大活躍。近年はYouTubeチャンネルでも動画を配信中。2021年3月の出産後は、ママとしての新しい顔ものぞかせ、多くの女性の共感を得ている。

「いつかバブルが戻ってくると信じていた」バブル世代の衝撃的価値観【平野ノラ×甘糟りり子】 _img0
ブルーのアイシャドウ、濃い眉毛、赤リップなどバブルメイクはいつもノラさんご自身によるもの

――平野ノラさんといえばやはり、バブルをモチーフにしたギャグですが、あのネタの誕生秘話を教えてください。

ノラ:当初は“昭和”という大きなくくりでネタを作っていました。私自身が経験したものだと“コギャルブーム”とか“アムラー”だったのですが、年齢的にコギャルネタは限界があるなあ、と悩んでいて。

その頃お客さんから「ノラさんって、なんかすごいバブルっぽいよね」と言われることがけっこうあったんです。それがきっかけで “バブルってなんだろう”と突き詰めたくなりいろいろ調べていくと、非常に華やかでおもしろい世界だったので、「よし、バブルで行こう!」と方向性を決めました。

 

――ノラさんのバブルギャグを見て、実際にバブル期を知る甘糟さんはどう感じたのかお聞きしたいです。

甘糟:私はノラさんのギャグを見たときに、「ああ、バブルって、一つの過去として確立したんだなあ」と感じました。

景気動向指数の上ではバブルの終焉は91年ですけれど、当時の私たちはあまり実感がなくて。実際土地を転がしていた人たちは大変な思いをしたでしょうが、私たち一般人はダイレクトに痛手はなかったんですよね。97年、山一証券が潰れたときにようやく「本当にヤバいんだ」って気がついたくらい、タイムラグがあったんです。

なんとなく、そのうちまた盛り返すんじゃないかなあという楽観的な気持ちを心の隅に抱いたままだったんですよね。この楽観的なところもバブル世代の特徴ですね。

でもノラさんがネタにしているのを見て、本当に過去の出来事なんだと踏ん切りがつきました。

ノラ:そんなに時間がかかったんですね。

甘糟:楽しかったから、どこかで認めたくない気持ちもあったのかも。「いつかまた六本木に派手なディスコがバンバンできて、人が集まってくるんじゃないかな」という期待がうっすらあったんですが、ノラさんがギャグにしていて、あれは昔の出来事なんだと痛感しました。

「いつかバブルが戻ってくると信じていた」バブル世代の衝撃的価値観【平野ノラ×甘糟りり子】 _img1

バブルの象徴のようなピンクのコートを着た甘糟さん

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