「バブル時代」と聞くと、人は何を思い浮かべるでしょう。
ミラーボールの輝く煌びやかなディスコ、ワンレンのロングヘアにボディコンスーツに身を包んだ美女、タクシーを止めるために一万円札をヒラヒラかざして六本木通りに蠢くサラリーマンたち。
「毎日がパーティーだった」と言われる、街中が活気と希望に満ちていた1986年末から91年初め頃の四年半は、もはや伝説の時代となりました。
そんな「バブル」をとことん謳歌された作家・甘糟りり子さんがエッセイ『バブル、盆に返らず』を発売。バブルの思い出、その経験を経て思うことを赤裸々に語っていただきました。お借りしたバブル時代のお写真にも注目!
甘糟りり子
1964年、横浜生まれ。幼い頃から鎌倉に暮らす。玉川大学を卒業後、アパレル会社勤務をへて文筆の道へ。クルマ、レストラン、ファッションなど、都会のキラめきをモチーフにした小説やコラムに定評がある。バブル世代の女性たちの40代を描いた『エストロゲン』(小学館文庫)や、現代に生きる女性やその家族が直面する問題を取り上げた『産む、産まない、産めない』『産まなくても、産めなくても』(ともに講談社文庫)は、読者の共感を呼びロングセラーとなっている。近著『鎌倉の家』(河出書房新社)、『鎌倉だから、おいしい。』(集英社)
#MeeToo の現代では考えられない。「モテる」女性の定義
ーまず、なぜこのご時世に「バブル」を執筆されたのか。きっかけをお聞かせください。
「世の中が弱っている時にバブル? という声も頂きました。あの時代のことはずっと書きたかったんですよね。やっぱり特殊な時代ですから。あの時代を経験した人たちからは書いて欲しいとよくいわれましたし、若い人には『本当に一万円札をヒラヒラさせてタクシー捕まえてたんですか?』なんて、質問されることも少なくなかった。経験した者として、記録しておくべきと思っていました」
ー『バブル、盆に返らず』を読むと「顔パスで入れないディスコはなかった」など、甘糟さんはバブルの恩恵をかなり受けていたと思えます。ズバリ、なぜそれほどVIP待遇を得られたのでしょう?
「女子大生というのが、流行りの肩書きだったことが大きいですね。現役の女子大生たちがたくさん出演していた『オールナイトフジ』という深夜番組が人気で、ちょっとしたモデルやタレントより女子大生がちやほやされていました。
もっというと、共学よりも女子大に通っている子の方がモテたんですよ。女子大と短期大学ですね。青山学院女子短期大学(2019年に学生募集停止)と山脇学園短期大学(2011年に廃止)はそれぞれ『あおたん』『あかたん』とあだ名で呼ばれて、二大人気でした。山脇は赤坂にあったので、あかたん。短大を卒業して習い事をして、条件のいい相手のところにお嫁に行くというコースを理想とされていたんですね」
ー今では短大の数もだいぶ少なくなっていますよね。
「この本を読んだ方にジェンダーの歴史でもあるといわれましたが、#MeeToo運動が盛んな今の時代では信じられないことがたくさんありました。いい方は悪いですが、女の子は半分ペットみたいな存在というか」
ー甘糟さんは、そういった立場も楽しまれていましたか?
「確信犯的に利用してましたね。ディスコで声をかけられたら、玉川大学の学生なのにフェリスの短大生だと嘘ついたりして。まあ、退屈しのぎに(笑)」
百聞は一見に如かず。「ドヤ」が止まらないバブル写真
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