出産前に手がけていた東京×五島列島の島コン
実は狩野さん、鎌倉で暮らすよりもずっと前から、プライベートで移住に関するプロジェクトを手がけていました。
「都内に住んでいた10年ほど前、仕事とは別に、都会の女性を長崎の五島列島に連れて行く“島コン”という出会いのイベントをやっていたんです。きっかけは、好きだった遠藤周作の影響で初めて長崎を訪れた時のこと。私の心の故郷はここだって、何だか心が洗われた感じがしたんですよね。それから教会巡りをするようになって、島に通ううちに少しずつ価値観が変わっていって」
当時はファッション業界に身を置き、終電まで仕事をするのは当たり前。都会で呑み歩くことが何より楽しかったそうですが、ふと島コンをやろうと思いつき、業界内の友人数名に声をかけました。
「当時は都会でバリバリ働く30代前半の独身女子が周りにたくさんいて、いわゆる条件がいい男の人は20代で結婚していて恋愛市場に残ってない、みたいな話を聞くことが多くて。才能もあってパワフルな都会の女子を島に連れて行ったら、島の活性化にも繋がるんじゃないかって何となく思って」
トータル100名ほどの女性たちを島に連れて行って漁師の方たちと交流したところ、狙い通り結婚に至るカップルが生まれたり、別れても島に移住して現地と東京を結ぶ仕事に就く人も出てきたと言います。さらにHISと一緒にツアーを作ったり、メディアを連れて行くなど、事業としての依頼も出てきたのだそう。けれど2、3年が経ち、狩野さんの引っ越しや出産等を機にプロジェクトは終焉を迎えます。しかし地域とつながり続けたいと思った彼女は、今度は“◯◯と鎌倉”と題した地域間交流のプロジェクトを始めました。
“◯◯と鎌倉”で地域課題の解決を
「島コンをやっていた頃は、島の人たちからは私自身が移住することを期待されていた気がしましたが、それはちょっとしっくり来なかったんです。今は地域外の人が地域づくりの担い手になる、観光以上移住未満の人たちを指す“関係人口”という言葉もありますが、あの頃はまだそのような考えが浸透していなくて。でも私は当時からそんな関係性が理想で、子どもを産んでからは鎌倉の暮らしをベースに地域とつながる“◯◯と鎌倉”を始めました」
“〇〇と鎌倉”では、地域をつなぐイベントの企画やタブロイドの制作等を行っており、鎌倉市内各所で行った五島列島のPRイベント“五島と鎌倉”を皮切りに、水産・漁業人材の育成を目的に、高校生や若手水産業者が鎌倉に短期滞在して鮮魚販売等を行う“阿久根と鎌倉”、他にも“神山と鎌倉”、生マグロを使った期間限定食堂等を行った“那智勝浦と鎌倉”など、複数の地域と交流を行っています。そこから派生して、現在は地域間交流型の新しい鮮魚店を鎌倉につくろうとしているとか。
ちなみに彼女が島コンでお世話になった長崎県五島市は、2018年に五島列島が世界遺産に登録されたことで移住者が増え、今や県内でもトップクラスを誇るそう。2016年から2020年の過去5年間の定着率は8割で、最近は里帰り出産などを機にUターンする家族も増えています。狩野さんは「“◯◯と鎌倉”では、そのような恩恵を受けていない地域ともつながり、相互で資源やアイディアを交換して多様性のあるコミュニティを作ったり、地域課題の解決につなげられたら」と話します。
さまざまな暮らしを経た狩野さんが思う多拠点生活とは
今後は、箱根にゆかりのある人たちと鎌倉の人が交流する“箱根と鎌倉”イベントもやりたいと思っているそうです。それだけでなく、二拠点生活をする人同士がつながり、使わない時はその場をシェアできるような仕組みを作りたいとも。狩野さんが暮らす鎌倉でも、住まいとは別に拠点を持つ人たちが増えていることもあり、行き来できる共同の場を模索し始めたと言います。
「実は今、三拠点目も欲しいと思っているほどなんです(笑)。夫の何気ないひと言で始まった二拠点生活ですが、最低限のリスクヘッジさえできていたら、“とりあえずやってみよう!”でも、たいして後悔することはないかなと。私自身、6年前に東京から鎌倉に来て、住む場所を少し変えるだけでこんなにも暮らしが変わるんだということを実感しました。でもそんなの移ってみないと分からないじゃないですか。私は決してスローライフを送りたいわけではないので、これからも刺激を求めていろいろチャレンジしていきたいですね」
二拠点生活を送る上で出会うさまざまな景色
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次回は、コロナ以前から東京と京都の二拠点生活を送り、コロナ真っ只中で今度は軽井沢に拠点を移した、フードディレクターの川上ミホさんの話をお届けします。
構成・取材・文/井手朋子
前回記事「編集者の夫が放ったひと言がきっかけで“鎌倉+箱根”の二拠点生活に【前編】」>>
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