年下の夫への「絶対の信頼、無責任な甘え」
「――ッがああぁっ‼」
奇襲のごとく肉離れのような強烈な痛みが走り、叫びながら目覚める。
ここ最近よく足がつるようになったが、ここまでひどいこむら返りは初めてだ。右の足指の付け根からふくらはぎ全体がガチガチに硬い。反り返っている筋肉を伸ばそうと爪先に手を伸ばすが、身体全体が強張っているのかそれすらままならない。嫌な汗が噴き出る。
私の尋常ではない様子に、同じダブルベッドで寝ていたリュカも飛び起き、顔をひきつらせた。
「どうしたのッ⁉」
「足ッ! 足が――」
――あれ、フランス語で「こむら返り」ってなんて言うんだっけ?
覚えたばかりの単語のはずなのに、パニックで頭が回らない。
「ク、クラ……クラブ!」
「Crabe(蟹)⁉」
「だあぁぁもおッ! いいから足! 足伸ばしてッ」
もどかしさに日本語で怒鳴り散らすと「こう⁉」と、いきなり足裏をグイと曲げられて激痛に一瞬息を忘れる。新たな痛みに泣き叫びながら、なぜ深夜にコントを繰り広げているのかと虚しい。しかもリュカは大まじめだ。
「びっくりした、流産でもしたのかと……心臓が止まるかと思ったよ」
私がようやくまともに話せる状態になると、リュカは「良かった良かった」と大あくびをし、草食動物の反芻のようにむにゃむにゃ口を動かしながら再び眠りに落ちていった。
足の痛みはしぶとく残って引かず、私は完全に目が冴えてしまった。ついでに「こむら返り」は「crampe(クランプ)」だったなと思い出す。リュカの脳天気な寝顔が憎らしくなるが、じっと身体を横たえているとお腹の赤ちゃんがぐるんと動くのを感じた。胎動は日増しに強くなっている。
「大好きだよ」
出し抜けに、くぐもったリュカの小声が暗い寝室を満たした。
私はなんだか胸が詰まってしまい、赦しを請うようにリュカを見つめた。当人はぽかんと口を開けたまま、もう完全に寝ている。
その刹那、ずっと張り詰めていたなにかがふうっとほどけていった。
――リュカとじゃなきゃ結婚しなかっただろうし、まして子供なんて絶対考えられなかったな。
そう思える人に出会えて、その人が自分を選んでくれて、私は最高にラッキーだ。これ以上なにを望むんだろう。一番とか二番とか、くだらない。
子育てがどれだけ大変でも、子供になにがあっても、リュカならなんとかしてくれる……よく言えば絶対の信頼、悪く言えば無責任な甘えが、妊娠、出産、育児という重責にぐらつく私をなんとか前向きに支えていた。
私はまだ母親になれる気がしない。でもリュカは父親にも母親にもなれる人で、赤ちゃんを全力で幸せにしてくれると確信している。リュカの愛情の全てが赤ちゃんに注がれたら、やっぱり嫉妬してしまうかもしれない。けど、愛情は有限じゃない。二倍にも三倍にも増やせる。きっと家族三人で、新しい愛情を育んでいけるはず。
だから、まずは産む。とりあえず産むことに専念する。
――その後もまぁ、どうにかなるでしょう。
他人事のように考えるのが逃げだとしたら、私はきっと逃げ続ける。だけど最後まで逃げおおせたなら、それはそれで勝ちだ……
いつのまに眠り込んでいたのか、重いまぶたを押し上げると既に窓の外は明るく、朝食の準備ができていた。
ようやく母になる覚悟が芽生え始めた蘭。フランスで出産経験のある日本人の先輩ママのアドバイスは?
<新刊紹介>
『燃える息』
パリュスあや子 ¥1705(税込)
彼は私を、彼女は僕を、止められないーー
傾き続ける世界で、必死に立っている。
なにかに依存するのは、生きている証だ。
――中江有里(女優・作家)
依存しているのか、依存させられているのか。
彼、彼女らは、明日の私たちかもしれない。
――三宅香帆(書評家)
現代人の約七割が、依存症!?
盗り続けてしまう人、刺激臭が癖になる人、運動せずにはいられない人、鏡をよく見る人、緊張すると掻いてしまう人、スマホを手放せない人ーー抜けられない、やめられない。
人間の衝動を描いた新感覚の六篇。小説現代長編新人賞受賞後第一作!
撮影・文/パリュスあや子
構成/山本理沙
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