会社設立に込めた決意。TOKIOの名に縋りつく生き方はしたくない
人生を楽しむ。それは、人生における重大な局面でも必要なメンタリティです。国分さんにとって大きな転換点となったのは、やはりメンバーの脱退。人生には、時として自分のコントロールの及ばない出来事が起こるもの。そのときにどうするか。そこに、その人の生き方が出るのです。
「ボーカルがいなくなるということは、バンドである僕たちにとっては致命的なこと。でも、僕らにとってTOKIOはジャニーさんからもらった大切な屋号。それをなくしたくない、守りたいという気持ちがあったから3人でやっていこうと決めたんです」
ただし、そのときに3人で決めたことがありました。
「TOKIOは続ける。だけど、中年のおじさんがなんとなくそこに縋りついているというような見え方だけは嫌だった。それは3人共通の意見でしたね。いろんなことが変わる変化の時期。僕たち自身もどう変わるかが大事だった。そのときにふっと思いついたんです、これはもう会社だなって。そう伝えたら、2人も面白がってくれて。そこから会社設立という道に向けて走り出しました」
過去の威光を振りかざし、甘い汁を吸うような“余生”を送るのではなく、村を開墾してきたときのように、道なき道を切り開いて、常に“今”を全力で生きる。それが、TOKIOらしい人生の楽しみ方でした。
「ちょうどその時期って、うちの事務所的にも脱退が続いていて、どんどんグループのメンバーが減っていくという事態が重なっていたんですよ。そうすると、後輩たちだってどうしても明るい未来が見えづらくなる。このままグループを続けていて大丈夫だろうかって不安になるのも仕方ないと思うんです。だからこそ、彼らにこういう選択もありなんだというところを見せたかった。新しいことをやって革命を起こすことで、これから続く人たちの将来の選択肢を増やしたいという想いも、会社設立には込められていました」
人生は予測不可能。どれだけ用意周到に準備を図っても、予想だにしなかった事態に見舞われ、切り立った崖の上でこれからどこに向かって進めばいいかわからず立ち尽くすこともあります。国分さんは、そのこと自体は決して否定はしません。
「人って常にポジティブということはないと思うんです。人生はいいことばかりじゃない。毎日のようにポジティブとネガティブが入れ替わり立ち替わりやってきて、人生は続いていく。それ自体は、僕らの力ではどうしようもできない。僕たちにできることは、日々いろんなことが起きる中で、常に『楽しめているか?』と自分に問うこと。その問いに、胸を張ってイエスと答えられる道を選んでいければ、何があってもいい人生だったと思える気がします」
そう語る国分さんの手元には、今いちばんの仕事道具であるノートパソコンが。バンド時代はキーボード担当。今はパソコンのキーボードに四苦八苦しながら、予想もしなかった人生を楽しんで生きています。
「ブラインドタッチはまだ全然無理(笑)。今はまだこんなですよ(と、指1本でキーボードを叩く真似をする)」
そう照れ笑いしてから、こう締めくくりました。
「でもそんなのもね、毎日さわっているうちに自然とうまくなっていくものだから。そうすると、もうこの指1本の世界には戻ってこられないでしょう。こんな感じでキーボードを叩いていられるのも今だけ。だったら今はこの状態を楽しもうかなって」
未来は見えないし、時代は変わり続ける。「四十にして惑わず」なんてありえない。きっと私たちは60歳になっても80歳になっても惑いっぱなしなのかもしれません。でも、そんな惑いや迷いさえも楽しめれば、怖いものなんてない。そう国分さんが教えてくれました。
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国分太一 Taichi Kokubun
1974年生まれ、東京都出身。1990年にTOKIOを結成、1994年9月にシングル「LOVE YOU ONLY」でCDデビュー。以降、歌、バラエティ、ドラマ、ラジオなど多岐に渡り活躍。今や国民的長寿番組となった「ザ!鉄腕!DASH!!」をはじめ数々の人気番組に出演するほか、情報番組、スポーツ中継等で司会も務める。2021年に株式会社TOKIOを設立、取締役副社長・企画担当に就任。芸能活動と並行して、企業や自治体と協働した地方創生事業を展開している。
Twitter:@tokioinc_taichi
撮影/塚田亮平
スタイリング/九(Yolken)
ヘアメイク/野中真紀子(eclat)
取材・文/横川良明
構成/山崎 恵
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