歴史に残る偉大な映画スター、オードリー・ヘプバーン。
そのドキュメンタリー映画がGWに公開され、話題を集めています。

『ローマの休日』(1953)で若干24歳にしてアカデミー主演女優賞を受賞、革新的な存在でスターへの道を駆け上がった彼女の本当の生涯は、きらびやかさとは正反対のものだったと言います。

世界中から「愛された」彼女の光と闇。今でも私たち中で生き続ける、その理由とはーー?

本作の試写会が4月26日(火)に都内で開催され、エッセイストの犬山紙子さんとパーソナルスタイリストの大日方久美子さんによるトークイベントが行われました。その内容をお送りします。
 

なぜ人は、ここまでオードリーに魅了されるのか? 

 

犬山紙子さん(以降犬山):オードリーは世界中から愛されていた女性と思っていましたが、何よりも愛に飢えていたんだな印象が変わりました。この映画を観て、初めて彼女を身近に感じたし、誰が見ても身近に感じられると思います。

 

大日方久美子さん(以降大日方):初めてニューヨークを訪れた際にティファニーに足を運び「ここにオードリーが立ってたんだ!」と感慨にふけりましたが、映画を観て「『オードリーも私と大差のない普通のひとりの人間だったんだ』という印象を持ちました。

前半は、美しさに息をするのを忘れてしまうくらいでしたが、後半に進むにつれて、「心から愛されたい」ともがいて、掴もうとして、それでも掴めなかった哀しみを感じました。

オードリーにも私にも、人生には平等に公平に幸せと不幸があって、彼女は一番求めたものを最後まで手に入れられなかった。でも、もらえなかったからこそ、痛みや哀しみを愛にかえて、それがみんなに降り注ぐという、その行動が彼女を強烈に『美しい』と思わせるんだなと思いました。

犬山:美しい方はたくさんいますけど、なんでここまでオードリーに魅了されるのか? “内面の美しさ”ということがよく言われるけど、その回答がこの映画にあると感じました。オードリーの晩年の美しさ――人って行動と共に美しく年齢を重ねるんだなと。私が、オードリーを一番美しいと感じたのは、ユニセフ大使として支援をしている姿でした。


ご自身も虐待児童を支援するボランティア活動をはじめ、様々な社会活動に力を入れている犬山さん。ここで、オードリーの印象的な言葉としてユニセフの大使として世界中を飛び回っていた頃に語ったという「時間をかけてでも、人道的支援を政治化する代わりに、政治を人道的に変えるのが夢だ」という言葉を紹介されました。

犬山:これは、政治が人道的でなくてどうする? という訴えであり、個々人のアクションは尊いけど、それはそもそも政治がやるべき、という訴えです。この指摘が、(彼女の没後約30年が経つ)いまでも響く現状が哀しい……。この映画を観て、寄付のアクションを起こす人が増えると思います。ちょっとした寄付で助かる命があります。

また大日方さんは、オードリーの「愛とは行動なのよ」という言葉を紹介。大日方さん自身も、虐待されている子どもや親たちを支援する活動や保護犬の活動を行なっています。

 

大日方:私はできる時は寄付をしたり、足を運んでボランティアをするようにしています。「私には何もできない」と言う人が多いけど、寄付が全てじゃないし、寄付することが偉いわけでもない。行動に移すことが大事だと思います。お金があっても時間がないなら寄付すればいいし、時間はあるけどお金がないならボランティアをして時間を寄付すればいい。時間もお金もなくても、経験と知恵と優しさがあるなら、それをシェアしてほしい。何もできない人なんて一人たりともいないと思います。

こうした活動について、犬山さんも大日方さんも動機はあくまでも「自分のため」と語りました。

犬山:私は自分の心が苦しい時に寄付するようにしています。しんどい時にそうすることで「こんな私でも生きていていいかも」と思えたりします。オードリーも自分の寂しさを、誰かを愛すること、子どもたちを愛することで癒やしていたというのが映画で描かれます。自分に自信がなく、生きていていいかわからない中で、こういう活動をすることで、自分を肯定できる。美しい動機ではなく、自分のためで。

大日方:私も自分がやりたいからやっています。「できる時に、できることをできる人がしよう」というモットーで、できることを途切れることなく絶えず、一歩ずつ続ける――それがたぶん、自分が生きる意味だと思っています。
 

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一世代に一人と言われた伝説的スター、オードリー。その晩年は……
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