安倍元首相の銃撃事件をきっかけに、政治と宗教をめぐる問題がクローズアップされています。しかしながら、政教分離というのは、日本の戦後政治において一貫して問題視され続けてきたテーマですから、政治について多少、知識のある人なら、大きな驚きはないはずです。私たちは政治と宗教についてどう考えれば良いのでしょうか。 

安倍元首相の銃撃事件を受けて、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の元幹部である郭錠煥(クァク・ジョンファン)氏が7月19日にソウル市内で会見。一部で取り沙汰されている同教団と自民党との癒着疑惑を否定した。写真:YONHAP NEWS/アフロ

説明するまでもなく民主主義国家では「信教の自由」というものが保証されており、国民がどの宗教を信仰するのか、あるいはしないのかについては、すべて個人の自由となっています。信教の自由が保障されている以上、信仰を持つ人が、自身が信じる宗教と近い考えを持つ政治家に投票することは、当然に予想される事態です。したがって、宗教団体と政治家の関係を完全にゼロにすることは原理的に不可能と言ってよいでしょう。

 

宗教の分野に限らず、労働組合や経済団体、技能者団体など、自らの職業利益に合致する政治家に投票するというのはよく見られる行動ですから、宗教団体だけが特別なわけではありません。

しかしながら宗教の場合、他の団体とは異なる事情があります。宗教というのは個人の価値観や人生観に深く関わる分野ですから、場合によっては家族のあり方、結婚のあり方、性別や人種などに関して、多くの人とは異なる考え方を持つ人が出てくることになります。極端な思想を持つ宗教団体が、国政と密接な関係を持った場合、私たちの生活には大きな影響が及ぶことになります。

信教の自由という大前提がある以上、政治と宗教の関係を適切なものにするためには、政治家がしっかりとした倫理観を持つ必要があります。選挙に立候補する人は、自身がどのような人たちと関わりがあり、自身がどのような価値観を持っているのか、明確に説明する必要があるでしょう。

筆者は以前、ある論者と政治家の資質や能力について議論したことがあるのですが、筆者は「政治家というのは、自身の価値観や人生観など、プライベートな部分も含めて、ある程度までは外部に説明する責任がある」という話をしたところ、相手に色をなして反論されました。

彼によると、職務能力があればプライベートは関係ないという理屈なのですが、この論理は、政治家という仕事について根本的に勘違いしていると言わざるを得ません。政治家というのは、一般的なサラリーマンのように、特定の業務をこなせば、働いた分だけ賃金がもらえるという仕事ではありません。

政治家の仕事は多岐にわたりますが、究極的には法律を作るのが最大の仕事と言ってよいでしょう。

 
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