どの政治家が、どういった団体から支援を受け、誰の票によって議席を得ているのか、こうした情報は可能な限りオープンにすべきです。こうした情報が提示されていれば、あとは、その政治家を国会に送るべきかどうか、有権者が判断することになります。
例えば、議員の収支報告書は、誰でも自由に閲覧できますが、現実にこの作業を行うのは簡単ではありません。近年はネット閲覧できるようになりましたが、一部の自治体はいまだにネット閲覧を実施していません。同じ情報公開といっても、役所に行って閲覧することと、ネット閲覧することには雲泥の差があります。
ネットが持つ力の大きさを考えた場合、ネット閲覧不可というのは、情報公開をしていないこととほぼ同じといっても言い過ぎではありません。加えて、行政機関が公開する情報は分かりにくいのが常ですから、メディアがこれを翻訳し、分かりやすい形で報道するといった措置も必要でしょう。公開情報を丹念に収集し、名前が出てくる団体とのお金のやり取りを網羅的に分析すれば、どの程度の関係なのか、相当程度、明らかになるはずです。
こうした情報公開が徹底されていれば、有権者は自身の目で政治家をチェックすることができます。反社会的な団体と関係の深い政治家を国会に送りたいと考える有権者は少数派でしょうから、結果的にこうした人たちは政治家として十分な活動ができなくなるでしょう。
この話は、特段、宗教に限ったものではありません。ある政治的なテーマについて議論する際、当該テーマを職業にしている専門家に話を聞くのは合理的なことです。しかしながら、その専門家は当該分野から利益を得ていますから、専門家として説明を求められれば、自身の利益に沿って回答するに決まっています。
情報を受け取る側が、一連の利害関係を理解した上で話を聞くのであれば全く問題ありませんが、それがあたかも中立的な立場であるかのように演出された場合、情報の受け手は適切な判断を行うことができません。専門家に話を聞く時は、その人がどのような組織に属していて、どういった利害関係があるのかオープンにすることが重要です。
可能な限り情報を開示し、多くの国民が開示された情報をもとに判断する仕組みを構築できれば、信教の自由といった微妙な領域まで踏み込まなくても、大部分の問題を解決できるはずです。
前回記事「老後はすべて「自己責任」の時代に...NISA恒久化の陰で深刻化する“ある問題”とは」はこちら>>
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