ファッションスタイリスト佐藤佳菜子さんが日常に感じる思いを綴る連載です。
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率直に言って、今、わたしはタヌキに夢中です。野生なのに、毛艶がよくてまるまるとしたタヌキ。
こんな風に言うと、どんな山奥に住んでいるのだと思われるのですが、わたしが住んでいるのは表参道まで車で15分とかからない場所。都心といってまったく差し支えない街。そんな我が家に毎晩のようにタヌキがやってきて、ご機嫌伺いをして帰っていく。
もちろん野生のタヌキに手出しをするようなことはしません。病原菌のこともあるので、ただただ観察をする。そこにいるのをお互い意識し合っているけれど、距離を保って暮らす。
とか言っているけれど、その姿をただただ見たい。野生の生き物は、とにかく力強いエナジーのかたまりで、尊い。ぬくぬく暮らす、うちの箱入りのブタ(愛犬です)とは目に宿るエネルギーと、まとう空気の質が違う。その美しさに見惚れてしまって、ただただそれが見たい。
とある雨の日が始まり。なにかの気配を感じて、ハッと部屋の窓の外を見ると何か大きな黒いかたまりがいた。窓越しに近づいてみても、知らん顔でマイペースにそこらへんに落ちているものを食べたり、ゆっくりパトロールをしたりする毛深い獣。
「ど、どなたですか?」
家族を大至急呼びいって全員で窓越しに、その毛深い生き物の様子をまじまじと眺めた。それからして、都心にはハクビシン、アライグマ、そしてタヌキがいること、そして、それぞれの特徴からうちに来ていたのはタヌキだとわかった。
なぜ、その堂々とした佇まいを我が家に見せつけに来ることに決めたのかは分からない。ただ、タヌキは3日と空けずにやってきて、窓越しに人間と目があっても気にせず、そのあたりを散策して帰ってゆく。
人間に迎合しきっているコブタへの果たし状か、はたまた、疲れ果てた人間を愉しませるための深夜のエンターテイメントか、ただ、シンプルにうちの周りのなにかがお気に召しただけか。あまりにも頻繁に顔を出すので、名前をつけたい欲が出た。最終的に甥がつけた「ナイト」という名前で呼ぶことに決めた。甥は、ゲームか何かにでてくる騎士の意味での「ナイト」だったと思うけれども、深夜にしか現れないタヌキにぴったりだと思い、わたしは夜の意味で気に入った。
毎晩23:00を過ぎる頃から、なんとなくナイトを待っている自分がいる。ただ、まったく気配を感じなくて、さっきまでなにもなかったその空間に、ふと目をやると、茶色いふさふさがいたりする。神出鬼没。忍者のごとく。
そうこうしているうちに、その日もハッと気がついたら窓の外にナイトが来ていた。おうおう、今日もいるじゃないの、と思ったのもつかの間。
えええ。えええ。
突然の「分身の術」。むしろどっちがオリジナルのナイトなの。すっかり面を食らってしまった。普通、例えば同じチワワだと言ったって、かなり個体差があって、まさか自分のところの犬が見分けがつきません、などと言うことはなかなかない。でも、見てください。タヌキって。サイズも顔もこのとおり。瓜二つの4つの鋭い視線でこちらを射てくる。わたしはいままで同じ個体が来ているものとばかり思っていたけど、これでは、まったく別のタヌキが代わる代わる来ていたと言われたって否定できない。
ここは都会のガラパゴス。夜な夜な野生のタヌキがやってくるかと思えば、ガラス一枚隔てた家の中には、夏になれば、与えられた冷え冷えマットを使いこなし、冬がくれば、ヒーターの前を陣取ってスイッチを押せとねだり、したり顔で人間の話を聞く、飼いならされたオオカミの子孫コブタがいる。
どちらのあり方が正しいのかはわからない。でも、どちらも精一杯全力で生きていて、その動物のピュアでまっすぐな魂に、いつもわたしは感服してしまう。後ろを振り返ってくよくよしたり、誰かを羨ましがったりすることもなく、ただ、いつも与えられた環境に、ストンと適応してたくましく生きている。その姿勢は、いつもわたしに気づきをくれる。どうか、そんな清い生き物たちが、それぞれの形で、しあわせに暮らしていけますようにと、中年の婦人はそっと願っているのである。
はぁぁ。明日も頑張って働かないと。今月はちょっと撮影が多くて、帰りが遅い日が多く、深夜、各種動物たちに癒されています。
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バナー画像撮影/川﨑一貴(MOUSTACHE)
文/佐藤佳菜子
構成/高橋香奈子
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