前提にあるのは、自分の中の「こういう女にはなりたくない」という矜持


子供のころにあったイジメ、音楽にハマった学生時代、自身を作った文学と恋と結婚、作家デビューとバッシング……歯切れのいい言葉でテンポよく描かれた『私のことだま漂流記』。山田作品のファンならば、作品の元ネタを知ることができるかもしれません。さっそくインタビューの冒頭で「もしかしてあの小説はここから……?」とぶつけてみたところ、山田さんはあっさりと「いや、それはひとつも関係ないけど」。でもカラっと言い放つそのキャラクターこそ、『A2Z』の主人公・夏美の「元ネタ」のような。

山田詠美さん(以下、山田):このあいだトークショーをやった時は、「この小説はあのエピソードからだったんだ、というのが多々ありました」という手紙をもらいました。夏美については、仕事の部分にはあるけど……いや、恋愛の部分にもあるか。ある年下男性との恋で、大切にしてあったエピソードが。でも過去を美化したいわけじゃありません。恋愛っていろんな形があると思うけど、大事なものをすくい取ったエッセンスには共通するものがあると思うんですよね。その普遍性が小説の読者に「私もこういうことあったわ」と思ってもらえる部分なのではないかと。

 

『A2Z』は35歳の文芸編集者、夏美を主人公に描いた恋愛小説です。彼女には同業他社で働く編集者の夫・一浩がいるのですが、ある日、郵便局員の成生と恋に落ちてしまいます。二人の関係は世に言うところの「いわゆる不倫」ですが、ありがちな「粘膜っぽさ」や「情念っぽさ」は不思議なほどありません。成生に「おれといると、そんなに幸せ?」と聞かれた夏美は「うん」と臆面もなく答え、うわあ、と恥じ入った後に「かまうもんか」と思い直し、カッコ悪いなと思いながら、有頂天になって成生と手をつなくーーそんな関係です。

山田:配偶者のある人の恋愛って、ただでさえ当事者が「ドラマクイーン=自己陶酔するはた迷惑なヒロイン」になりがちなんですよ。でも純粋に恋愛を楽しみ、相手を慈しみたいと思えば、そういう邪な感情は邪魔なだけ。ある種のダンディズムみたいなものがあるといいなと思います。なりふり構わず恋する部分と、はみ出すみっともなさを自制する部分、その采配を振るうのは自分だという意識というか。自分の中にある「こういう女にはなりたくない」というのも守りたかった。例えば夫との別居を決意して家をでた夏美が、女友達の家に転がり込む場面。男性読者からは「なんで女友達のところに? 普通は成生のところに行くだろ」という意見が圧倒的に多かった。でも私としては、夫とちゃんと話をつけないで男と暮らす女は書きたくなかったんです。逃げ込むみたいだし、ただ若い男にハマった人妻みたいな感じでカッコ悪いし。恋愛とは別に、自分の中の矜持は矜持でちゃんと持っている。女性はそういう「仁義にもとること」をしない夏美に共感してくれる人が多かったし、そういう前提があってこそ、こういう恋愛があってもいいと。