生活の中に作れる夢物語が恋。工事現場の横だってランウェイになる


『A2Z』が描くのは35歳の編集者・夏美の恋です。彼女には同じ編集者である夫・一浩がいて、物語はこの夫が「恋人ができた」と白状するところから始まります。呆気にとられながらも、つい一浩の行動を理解してしまう彼女は、時を同じくしてある年下男性と恋に落ちてしまいます。相手は会社の前にある郵便局の局員、成生。「カフェとかバーみたいな『飲み物関係』だと、すぐそういう関係になっちゃうから」とあっけらかんと言う山田さんに、いやいや普通はそこまでは……と思いつつ、でも「とってつけた」感のない設定には、絶妙に生っぽい色気が漂います。

山田詠美さん(以下、山田):郵便局に取材にも行きました、成生はいなかったけど。生活の範囲の中にそういう喜びを見出すのって重要だと思いますよ。この間のW杯サッカーでも、この選手みたいな人が作業服着てうちのエアコン取付けに来てくれないかなとか、西荻に住んでた時に来てた素敵な植木職人さん、フランス代表の選手とそっくりだなとか思いながら見てました。今はさすがにしないけど、若いころは工事現場の横はランウェイのようなつもりで歩いていましたし(笑)。

 

向かいの郵便局にお気に入りの男子がいて、切手やはがきを買いに行くたびに気持ちが上がるーーそんな夏美の恋は、中学高校時代の恋とほとんど変わりません。この小説が描くものが「いわゆる不倫」と思えないのは、そうしたウキウキやキラキラに満ちているから。夏美が成生にプレゼントしたリーデルのグラスは、彼の狭い部屋で割れてしまったその破片まで、うっとりするような美しさです。

山田:恋は「美しい夢物語を完結させよう」というところから始まる、自分たちで作るファンタジーなんです。それは必ずしもリーデルとかバカラじゃなくてもいい。『A2Z』では、ワイングラスを通した光が夏美の指にリングを作る場面がありますが、恋をしているとそういうものが宝物に見える瞬間があるんです。嬉しさ、楽しさ、もの悲しさ……様々なメロディを奏で、幸せが詰まったすごく個人的な物語を作っていく。それが恋なんです。