恋は夫婦になると消える美しい錯覚。でも、恋愛以外でも恋し続けることができる


『A2Z』が面白いのは、そうした恋を描くことで「結婚」が浮き彫りになっていくことです。一浩の恋人の存在を聞かされた夏美は、「結婚生活とは何か?」を考え始めます。目指す理想の家庭像を「笑顔がある」と語る人は多いですが、それが目的化してしまえば、本来なら表に出るべき怒りや悲しみを飲み込む場面は増えていくかもしれません。

山田:恋の楽しさは一過性のもの。すぐ消えるから美しいというたぐいのものなんです。これが夫婦になると、関係性は全然変わってくる。もちろん恋愛とは別の喜びがあるんですよ。でもそこに至るまでにはある程度の忍耐が必要だし、それによって鍛えられる場合もあれば、それによって病んでしまう場合もあると思います。

 

さしづめ夏美は「鍛えられた」ほうでしょうか。「恋人を失うと思うと心が痛む」、夏美を失う可能性は「考えたこともなかった」と語り、「たぶん夏美に気づいてほしかったんだと思う。こんなこと相談したくなっちゃう俺って大馬鹿野郎だよな」という具合の一浩は、夏美に対しては、矛盾もわがままもなんもかんも、無邪気に素直に告白してしまいます。それを聞いた夏美は傷つきながらも、「そういうこともあるよな」と思ってしまいます。

夏美と一浩は人間のタイプとしては正反対のようにすら思えるのですが、互いを誰よりも知っていて、それゆえファンタジーが生まれる余地がありません。「恥ずかしさ」と「不測の事態としてのキス」を期待する成生との関係に対し、一浩との関係には「何をやっても恥ずかしくない」と「スムーズな共同生活のための作法」が出来上がっています。一浩が夏美の大切な古伊万里の皿にケンタッキーフライドチキンを山盛りに盛るのは、成生との恋がキラキラしたシャンペンとリーデルのグラスに象徴されるのと対照的です。

 

山田:夫婦の関係にはもっと実直なものが含まれているんです。そこには美しい錯覚のようなものはないけど、それがなくなったら困る、というような。長年使い慣れた毛布、みたいなものでしょうか。

小説には、恋人と夫以外の「第三の男」も登場します。それが文学賞を授賞したばかりの話題の新人作家・永山です。一浩が担当編集として抱え込むこの人を口説いて、書き下ろしの作品を書かせたいーー夏美は永山の作品に一目惚れします。

山田:この作品では仕事が重要になっているんですが、恋するように仕事をしてる感じを出したかったんです。編集者って作家に恋することができる仕事なので。

永山の提案で夏美は彼と一緒に「一泊温泉旅行」に行くのですが、その場も含めて両者には「性的なもの」がひとかけらも生まれません。山田さんの描く「恋愛」の概念はここにきてより際立つのですが、それは成生への思いとは全く別のものでもあります。その思いによって動き出すのは、彼女の中にある「自分以外は誰も入れない部屋」であり、それがあるからこそ自分は生かされていると、夏美は考えています。そこには永山が言う「だんなさんとも恋人とも続けられないようなもの」があるようです。