東京の子育てがしんどそうな理由


「お隣の奥さん、よく働くなあ。看護師なんだよね? ときどき夜も行くでしょ。旦那さんは薬剤師だっけ? 手に職夫婦でいいねえ」

夫の高志は、佐々木夫妻について、よくそんな風に評した。会社員で昼間は家にいない高志と、隣人との接点はそんなもの。しかし、主婦の私は、シフト勤務のために午後から出勤することもある麻由美さんと、たまにランチをすることもあった。

「羨ましいご夫妻よね。……でも、麻由美さん、エリカちゃんの学費や交際費がかかるからもっと働きたいって言ってた。でもお勉強も見てあげないとならないから、思うようにいかないって。東京の中学受験て大変てきくけど、入ってからもいろいろ苦労がありそうよ」

私も高志も、地方出身で中学受験というものには縁がなかった。漠然と、公立にはない魅力があるらしいときいて、まだ幼い雪野もいつかはなどと思っていたが、麻由美さんとエリカちゃんの苦労を見ると、空恐ろしい気分になる。

エリカちゃんが通っているのはとんでもなく偏差値の高いお嬢様学校らしい。麻由美さんはエリカちゃんをバイオリンとバレエに通わせ、英語と数学、別々の塾に通わせ、長期休暇はお友達の別荘に車でエリカちゃんを送っていた。

 

この車じゃ恥ずかしいから、とまだまだ乗れそうな国産車を、メルセデスのEクラスというのに買い換えていて、車好きの高志は羨ましがっていた。両家の駐車スペースはぴったり隣接しているため、並ぶとちょっと切ない有様だったから。

 

東京の学校って恐ろしいんだな、とまだ幼い雪野を見てはため息をついた。幸いにも麻由美さんは、何も知らない私たち夫婦を見ていられないのか、あれこれと先輩としてアドバイスをしてくれる。

彼女は、娘を都会のお嬢様として恥ずかしくない生活をさせるために、それこそ馬車馬のように働いていた。それが東京で「勝つ」ための子育てなのだと。

専業主婦の私が大いなる損失をしているのではないかと思わせるほど、彼女は働き、夫にももっとお給料のいいところに転職できるようにと発破をかけ続けていた。

「それはさ、男としては、ちょっといたたまれないよ」

高志が思わず同情していたのを思い出す。エリカちゃんがエスカレーターで高等部に上がった頃には、佐々木家のご主人を見かけることはほとんどなくなっていた。
 

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やがて隣人の子育ての様子は、少しずつ変化して……?
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