母の狂気と情熱。その結果、残ったのは?
家が隣ということは、知りたくないことも聞こえてしまう。猫の額ほどではあるが、芝生の庭で洗濯物を取り込んでいると、接地した佐々木家のリビングから声が漏れてくる。
「どうしてこんな点数なの! 家庭教師を変えるわ、これじゃ早慶なんて絶対に入れないじゃない!」
「何年レッスンにお金を出していると思ってるの、そんな下手なバイオリンで発表会に出て恥をかくでしょう!?」
「うちの高校から三流大学なんか行ってみなさい、『中学受験がピークだったのね』っていい笑いものよ」
時折響く、ヒステリックな女性の声。はじめはその声が麻由美さんのものだとは思わなかった。普段の明るくて謙虚な麻由美さんからは想像もつかない暴言の数々。
子どもを引き上げるために必死なのだということはよくわかる。エリカちゃんの反論する声は一切聞こえてこない。いたたまれなくなって、洗濯を抱えて家に入る。
エリカちゃんは、外で会う時は非の打ちどころのないお嬢さんだった。すらっと身長が伸び、彼女のバイオリンの練習曲に聞き入るようになり、ついには悲願の超名門大学に入る頃には、麻由美さんはとても私と9歳違いとは思えないほどげっそりとして、白髪も増えていた。
それはまるで、地上の花に養分を吸い取られる球根のように。親とは哀しいものだと思う。
私と夫は、ひそかにエリカちゃんが過剰な期待と干渉に耐えられずに反抗してしまうのではないかと心配していたが、彼女は見事に期待に応えつづけたわけだ。そして麻由美さんの悲願であったいい縁談にも恵まれた。
そこにどれほどの努力と「刷り込み」があったのかは、この12年を傍から見聞きして多少想像することができる。
麻由美さんはいつも「女の人生は結婚でひっくり返る。油断は禁物」と言っていた。一度たりとも油断せず、ついに走り抜け、ゴールしたというわけだ。
……そう思っていたのだけれど。
彼女を待ち受ける「最後のミッション」とは?
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