いろんな人が観るテレビ=人々の「普通」。社会はもう変わっている


漫画や小説には、コミカル要素ゼロのBL作品は多数あります。ただそれらは、あくまで読みたい人が読むというメディア。BLファン以外の不特定多数が見るテレビドラマとは、守備範囲の広さが大きく違います。「若者がテレビを見なくなった」と言われる時代ですが、それでも老若男女、様々な嗜好を持つ人たちが見ているであろうテレビ。そのテレビにおいて、コメディ性を完全排除したBLドラマが描かれ大ヒットをするということは、それがもう社会の意識的にごく当たり前のものになった、ということを意味するのではないでしょうか。

写真:Shutterstock

先日、岸田総理は同性婚を認めることについて「家族観や社会が変わる」と発言し、さらに荒井勝喜首相秘書官はLGBTなど性的少数者や同性婚を「見るのも嫌だ」などと発言。いずれも物議をかもしました。しかし総理が何を言おうが、政府がどうあがこうが、人々の意識はすでに変わっているのではないでしょうか。同性同士の恋愛も、ごくフラットな目で見ているのではないでしょうか。なぜなら、もはやそこに“笑い”はいらなくなっているのだから。

 

『美しい彼』のシーズン2では、付き合い始めた2人のその後が描かれるようです。好き過ぎる相手と一緒にいることの苦悩、そして長く関係を続けていくためのぶつかり合いや許容……。シーズン1同様、今回もそういった全ての恋愛に存在する課題が、2人を通してリアルに、共感性を持って描かれるものと思われます。そしてそれをきっと私たちは、ごく当たり前に楽しみ、キュンキュンし、時に我が身に重ねて涙したりしながら見ることでしょう。ただの“一恋愛ドラマ”として……。

『美しい彼』のヒットは、単なる一つのBLドラマのヒットのように見えて、そうではない。それは、日本社会の多様性の大きな進化を示すものに他ならないのではないか、と私は思うのです。


取材・文/山本奈緒子
構成/坂口彩
 

 

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