例えば。初夜の翌朝には血で汚れたシーツを庭に掲げる。これは彼女が結婚するまで「処女」だったことを第一夫人(女主人)がチェックするためです。古株の女中は「第二夫人は男の子を産んでいないから、夫人とはいえない」と陰口をいいます。
妊娠したメイのつわりの後片付けを第二夫人の娘(つまりこの家の娘)にしてもらったら、「第一夫人」が飛んできて「名家に嫁いで女主人 (第一夫人)になる子、あなたの使用人じゃない」なんて怒られる。二人の夫人は「旦那様を喜ばせるには、こうすればいい。自分が気持ちよくなくても演技するの」とメイに教えます。
知識も偏見も思い込みも何もないメイは、そうした経験を通じて「私はこの家では単なる労働力なんだ。奥様公認で旦那様を悦ばせ、男の子を産むためだけにここにいるんだ」と自分の立場を刷り込まれてゆき、「文句があるわけじゃないけど、なんか悲しい……」と思うようになってゆきます。
でももう少し引いてみると、この家の誰もが「そういうものだから」としきたりに従い、人間的な感情を呑み込んでいるんですね。例えば家族が一堂に会した場面。第一夫人が「娘たちに新しいアオザイを」と言うと、家長である祖父は「その前に息子に新しい馬を」。「私はアオザイより馬がいい!」と次女が言えば、その母である第二夫人が「(やめて)」と視線で彼女をたしなめます。
祖父はメイに対する「息子がお前を一番大事にするのがわかる」という言葉を意識的か無意識にか第一夫人に聞かせ、夫人たちを分断します。唯一の跡取り息子は思い人と結ばれることは許されず、親が決めた彼の第一夫人は「不幸な結婚」と「破断した傷もの」の間で、行き場を失います。
実話をベースに描かれる19世紀後半の小さなコミュニティの物語は、過去の強烈な父権主義と理解されがちですが、メイが体験することは今もさほど変わっていません。「自分が何者なのか」 という意識が育つ以前に、周囲から「女だから、男だから、嫁だから、母親だから」と型にはめ込まれることは、人間の自由を奪い心をむしばみます。
さてこんな時代に、メイの様に妊娠したら? その子供がもし女の子だったら? そんなことを考えると、今の少子化問題の根本にある原因が見えてくるようにも思います。
<作品紹介>
『第三夫人と髪飾り』
19世紀の北ベトナム。14歳のメイは絹の里を治める富豪のもとに、三番目の妻として嫁いでくる。穏やかでエレガントな第一夫人には息子がひとり、美しく魅惑的な第二夫人には娘が三人いたが、一族にはさらなる男児の誕生が待ち望まれていた。 やがて、まだ無邪気だったメイは、この家では世継ぎを産んでこそ“奥様”になれることを知る。若き第三夫人がやってきたことで静かな里はさざめきたち、女たちのドラマが幕を開けるのだった──。
構成/山崎 恵
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