生きていると、いろんなことがあります。抜けない棘。消えない傷。ごく普通に楽しそうに笑っている人たちも、みんな「ささやかな日常」の下に、誰にも見せない傷痕を隠している。

「何もなかった人なんていないし、みんな何かを持っていて当たり前」

そう坂口健太郎さんも頷きます。

4月14日(金)公開の映画『サイド バイ サイド 隣にいる人』で坂口さんが演じるのは、目の前にいない“誰かの想い”が見える不思議な力によって、傷ついた人を癒やす青年・未山。彼の“秘密”を知ったとき、私たちは人の優しさや美しさ、あるいは弱さや強さといったものを思うことになるでしょう。

傷を負うことを避けられないのが人生であるならば、私たちは傷とどう向き合って生きていけばいいのか。坂口さんと一緒に考えてみました。

 

未山は、自己犠牲の人だなって思いました


――映画を拝見しましたが、非常に余白のある作品でした。演じた未山という人物は、伊藤ちひろ監督が坂口さんにあて書きをされたそうで。

事前に監督といろいろ話すタイミングがあったんですね。ちょっと坂口くんで撮ってみたいんだよねっていう話から始まって。でも、こんな作品をつくりたいんですよねみたいな話はまったくなく。ぼんやりといろいろ話をしていく中で、監督が少しずつイメージを引っ張っていったというか。ちょっとずつ輪郭を帯びていったという感じで。

だから、出来上がった台本を読んだときは不思議な感覚でした。監督は僕のことをそういう角度で見てるんだという驚きもあれば、そういうものを僕の中に感じてるんだという発見もあって。

――坂口さんから見て、未山はどんなふうに見えましたか。

自己犠牲の人だなって思いました。いろんなことを引き受けるし、断れないんだけど、どれもが80%ぐらいで、ちゃんと完遂していないというか。その気持ちは僕もすごくわかるんですね。いいですよって言っていろんなことを引き受けていると、意外とそれに首を絞められてしまうときがあって。そういうときは、僕はもうできないものはできないって割り切っちゃうんです。命あっての物種というのが僕の根本的な考え方なので。そこはちょっと未山と通ずるところがあるかななんて感じました。

――こういう絵画的な作品で、未山のような人物を演じるときって、演者の自我や作為が出ちゃうとダメな気がするんですね。坂口さんの未山にはそういうノイズがまったくなかった。どうアプローチされたんでしょう。

現場に入ってから「象徴のようにいてほしい」と監督に言われたんですね。どういうことかと言うと、こうやって話をしていると、足を組んでみたり、手を組んでみたり、なんとなくの癖が出るじゃないですか。それを完全に削ぎ落として、ただ立つ、ただ座る、ということを求められました。

でも癖って自然に出てくるものだから、それを全部削ぎ落とすのって、本当にこれでいいのかなっていう不安が最初の頃はあって。監督の求めているものがはっきり見えたのは、もしかしたら完成した作品を観たときかもしれないです。

そこにいた未山は、ちょっと普通とは見え方が違っていて。きっとそれは癖も含めたいろんな動きを削ぎ落としたから、そう見えたんだろうなと。たぶん、あそこで鼻を掻いたり、自然な動きが入っていたら、他の登場人物と一緒の色になってたと思うんです。ただ立つ、ただ座るということを突きつめてやった結果、ちょっとシンボリックな未山像が生まれたのかなという気がしました。

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