生きていれば
「大丈夫、失敗しても、生きてさえいれば再挑戦できるんだからねえ」
私は思わずぎょっとしておばあちゃんの顔を見る。小柄でかわいらしい笑顔だけど、タイムリーなことを言ってくるじゃないの。
私が黙っていると、おばあちゃんは飄々とうなずいた。
「生きていれば、それだけで、丸もうけだよ」
……そう言われても。
ねえおばあちゃん、私の親はね、離婚していてそれぞれ家庭があるから、私には帰るところがないの。特に美人でもないし、若くもなくなってきて、ちょっと得意なド根性勉強法にすがって司法試験なんて受けちゃったけど、3回も落ちちゃった。途中から退くに退けなくなって、検事になりたいっていう夢もだんだんあやふやになってきちゃったんだよ……。
私が沈黙していると、おばあちゃんはなおも飄々と言葉を続けた。
「だからね、しばらく休んでから、好きなほうにしたらいいのさ。もう一回挑戦したけりゃそうすればいいし、ほかの道を選んでもいい。どっちを選んでも自由だよ。何も悲観することはない」
泣くのをこらえて目に力を入れて前を見ると、ホームに電車が入ってきた。人目を避けてホームの端のベンチに座っていたから、1両目が速度を落として近づいてくる。急行、と表示が出ている。これに乗らなくちゃバイトに遅れてしまう。
「乗ったらいけない」
突然、おばあちゃんが、真剣な表情で私の腕をつかんだ。
え? え、どういうこと?
「この電車、乗ったらいけないよ、徹子」
電車が停まって、ドアが開く。何人かが下りてきて、先頭車両の車内にはほとんど人がいなくなった。とっさにベンチから腰を浮かせる。
「ごめん、おばあちゃん、私、乗らないと……」
振り返ると、そこには誰もいなかった。
「え!? 嘘、おばあちゃん、どこ? もう電車に乗った?」
思わず声が出た。慌てて視線を投げた一番近いドアの周囲には人っ子ひとりいない。ホームに音楽が流れ、駆け込み乗車をいさめるアナウンスが入る。
私はエコバックを肩にかけなおして、電車に駆け寄ったけれど、おばあちゃんの声が頭の中でリフレインした。
――この電車に乗ったらいけないよ、徹子。
確かに言った。徹子って。この古めかしい昭和風の名前を。……その昔、神主だった母の両親が最高の字画だと言ってつけたという私の。
乗らなければ仕事に間に合わないと頭ではわかっていたけれど、私の体は動かなかった。
電車のドアはなめらかに閉じて、そのまま出発した。
夏の夜、怖いシーンを覗いてみましょう…。
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