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「環境のせいにして努力しない人間が本当に嫌い」という東大卒アイドルの投稿が波紋を呼んでいます。「努力か才能か」あるいは「努力か環境か」というテーマは、昔から何度も繰り返し議論されており、ほぼ答えは出ているのですが、やはり多くの人の心に刺さるようです。このアイドルの投稿自体が4年近く前のものであり、それが再び話題になっているということからも、繰り返し関心を呼ぶテーマであることが分かります。

教育が多くの人にとってもっとも開かれた機会であり、自身のキャリアを確立する有力な手段であることは間違いありません。一部の分野を除き、教育というのは、特別な才能を持たない人が一定程度の仕事をこなせることを証明する数少ない手段といえるでしょう。

筆者も含めて、この記事を読んでいる人のほとんどは特別な才能を持っていないと思います。そうしたごく普通の人間でも、学校教育を受けることで「読み書きソロバン」程度であれば、何とかこなせるとことが対外的に証明されるわけです。大したことがないように思えるかもしれませんが、これは実はスゴイことです。

 

人材を採用する側は、応募してくる相手のことを何も知りません。何ができるのか、何ができないのかもまったく分からない中、学校教育を受けた人であれば、ある程度の仕事はできるという予測が成り立ちますから、企業としては相当程度、採用のハードルが下がるのです。

しかも、学校で行われる教育というのは非常に単純なものですから、人によって程度の違いこそあれ、勉強を重ねた分だけ点数が上がって成果が出てくることになります。

こうした事実を考えると、東大卒アイドルが主張するように、学校という開かれた機会があるのだから、努力してそれを活用しないのはおかしいという理屈が成り立つように思えます。この話は大筋としては合っているのですが、100%そうとは言い切れないところがこの問題の難しいところでしょう。

 
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