交番で娘の写真を見せて捜索の手配をしていただき、私は半泣きで娘の名前を大声で叫びながら探し回りました。

娘は、名前を聞かれても答えられず、電話のかけかたも分かりません。

放デイの主任さんも自転車で駆けつけ、ご近所の方や、偶然通りかかった犬の散歩中の方も、みなさん総出で探してくださいました。

約2時間後、娘はおまわりさんたちに、隣駅近くの国道沿いで確保されました。自宅にあった長い金属の棒を持って歩いていたので、夏休みで歩いているほかの小学生と比べて、この子ちょっと違うと気づいてもらえたのが幸運でした。

後日、菓子折りを持って、管轄の警察署にお礼に行くと、たまたま事件が少なくて、俺たちが署にいたのがラッキーだったね、と娘のような子に慣れたおまわりさんが教えてくれました。

その後も何度も見失い、そのたびに絶望的な気持ちになり、何度天を仰いだかしれません。

 


—— ご主人は新聞記者とのことですが、そのころは東京勤務だったのでしょうか?

夫は、娘が小学1年になる半年前に、福岡に単身赴任になりました。

福岡に赴任してからしばらくの間、娘は"夫不在"の自宅内の風景の変化に適応できず、数ヵ月間、深夜に大声をあげるようになりました。

単身赴任を終え、夫が自宅に戻ってくることになったのは2年後。娘が、「不定期に月に1、2回出没する」父親に、ようやく慣れたころだったのですが……。

そのころには夫を「父親」として認知できなくなっていました。