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このところ、週刊誌による告発記事が相次いでいることを受けて、特定メディアが極端な力を持つことについて批判する声が上がっています。客観的に見ていびつな状況であることは間違いありませんが、なぜこのような事態が発生しているのでしょうか。背景には日本独特の社会構造がありそうです。

 

昔から週刊誌は芸能人のスキャンダルを目玉コンテンツの一つとして扱ってきました。テレビ業界は芸能事務所との関係が密接であるため、芸能人のスキャンダルについて積極的に扱いづらく、しがらみがほとんどない週刊誌が、その穴を埋めてきたと考えてよいでしょう。

しかしながら、一連の報道に際して、芸能人が一方的な被害者だったのかというとそうではなく、(このような話をすると不快感を持つ人もいるかもしれませんが)少なくとも昭和から平成の時代までは、芸能人と週刊誌は持ちつ持たれつの関係だったというのが正しい認識です。

スキャンダル記事を報じられることは、一部の芸能人にとっては苦痛かもしれませんが、一方で週刊誌に取り上げてもらうことで注目度を上げたいという芸能人も数多く存在しており、芸能人側からわざわざ情報が提供されることも少なくありませんでした。つまり芸能人側も週刊誌をうまく利用する面があったわけです。

ところが、ここ数年、週刊誌と芸能人の関係が大きく変容しています。週刊誌報道が異様な力を持ち、芸能人生命を左右するような記事がたくさん出てくるようになったからです。

かつての週刊誌のスキャンダル記事には、バカバカしくて楽しめる要素が必ず含まれており、報じる内容についても、一定以上の内容には踏み込まないなど、暗黙のルールがありました。芸能人生命を終わらせてしまうような報道は自主的に控えていたというのが実情です。

ところが、今の週刊誌報道にそうした制約はなくなり、いわゆる「ガチ」の報道が行われています。では、なぜ週刊誌の報道スタイルが変わってしまったのでしょうか。そこにはルール社会になかなか移行できず、すぐに権威(お墨付き)を求めてしまう日本人のメンタリティが深く関係しています。

 
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