夫の信念「僕が日本の少子化を止める」


楓さんと夫の出会いは20年ほど前、関東圏のとある病院の産婦人科で、楓さんは看護師、夫の忠志さん(仮名)不妊治療に従事する婦人科医で10歳年上でした。

「夫は昔から、とにかく勤勉で真面目な性格でした。患者さんのことを一番に考え、ほとんど休みなく不妊治療の勉強や研究に明け暮れていました。出世欲が強く利己的な医師が多い中、私は真摯に生殖医療に向き合う夫に惹かれ、彼を支えていと思っていましたが……。

その頃から、彼は『日本の少子化は深刻だ』『僕が日本の少子化を止める』と口癖のように言っていましたが、それがまさかこんな事態を招くなんて考えもしませんでした」

2人は1年ほどの交際を経て結婚。その後、忠志さんは勤務する病院の経営陣と治療方針が合わずに独立。不妊治療は昔は特に闇が深い面もあったようで、正義感の強い忠志さんは患者さんにとってベストで最短、また治療費も身体の負担もなるべく減らしたいとの強い思いがあり、属していた病院と揉めることが多かったと言います。

 

「夫は正義感がとにかく強くて理想も高い。なので開業当初、看護師と事務を兼業していた私もかなり苦労しました。技術はたしかだけれど、頑固で不器用、コミュニケーションも上手ではないので、患者さんからも賛否両論の極端な口コミが広がったりして……。

 

でも、当時あの地域では珍しかった成功報酬の料金システムを導入し、妊娠が確認できるまでの治療費は格安だったりと、夫の信念が徐々に必要な人に伝わったのか、気づけば遠くからわざわざ通ってくれる患者さんもいたり、予約を受けるのも難しい時期があるほど患者さんで溢れるようになりました」

忠志さんの病院は気づけばどんどん大きくなり、隣接する地域に次々と不妊外来を2院開業。その最中、楓さんは娘さんを妊娠・出産しました。すでに従業員も多く増え、夫は忙しく働いているため、妻はほどなくして仕事を辞め専業主婦となったとそうです。

「夫がここまで病院を大きくするとは思っていませんでした。もちろん裕福にもなったし、彼は多忙であまり時間はとれないものの、恵まれた環境で子育てもできたと思います。夫は生き生きしていたし、文句もありませんでした。

ですが……私が40歳を過ぎ、娘がちょうど中学受験を終えたときに、突然夫が妙なことを言い始めたんです」

病院の経営もすっかり軌道に乗り、子育ても落ち着いた。もともと好きだった看護師の仕事に適度なペースで戻ろうか。40代からの中年期に向けて楓さんが色々と考えていた矢先に、夫はこう言ったそうです。

ーーこれだけ多くの人たちに子どもを授からせ、僕は人生をかけて日本の少子化を止めるためそれなりに貢献してきたと思う。なのに、自分には1人しか子どもがいない。それは僕の信念に反する。だから、あと2人か3人産んで欲しい。

と。