私の復職後、娘は午前中は療育施設、午後からは保育園に通いました。療育施設で給食を食べ終えてから、同じ社会福祉法人が運営する保育園に午後2時過ぎに登園します。その間の送迎はヘルパーさんにお願いしていました。

しかし娘の体力がもたないため、保育園での滞在時間は3時間ほど。帰りはシッターさんにお迎えにいっていただき、一緒に帰宅していました。

——保育園時代は、2つの施設をかけもちされていたのですね。小学校に入ってからはどのようにされていましたか?

就学した私立特別支援学校は、通学に1時間ほどかかります。朝は午前9時30分登校で、午後1時30分まででした。下校後はヘルパーさんに、自宅から比較的近い放課後等デイサービスに連れていってもらいました。どうしてもヘルパーさんが手配できない曜日は、慣れ親しんだシッターさんと一緒に自宅に戻り、のんびりと過ごしていました。

【障がい児を育てながら働く⑫】「何としても仕事を続けたい」しかし会社の育児支援制度は、健常児の成育が基準となっており..._img0
放課後等デイサービスにて。コロナ禍前は月に1度、職員やボランティアの方々の手作りのお夕食会がありました。お友達と一緒のお食事会は、障がいのある子たちにとっては貴重な機会であり、楽しみにしていました。

小学校入学後について、詳しい記事はこちら>>>【障がい児を育てながら働く⑨】父親を「認知」できなくなってしまった娘。そして日々綱渡りな、学校→放課後等デイサービスへの「移動手段の確保」
 

 


——保育園や学校への朝の送りは、ご両親で交代で行っていたのでしょうか?

同じ会社に勤める夫はデスクをしており、朝刊を担当すると帰宅は午前3時以降、夕刊を担当すると朝7時前には家を出ないといけません。

変化が苦手な娘の心身の状態を安定させるため、同じ日課を積み重ねることを優先させ、朝は毎日私が送り、療育施設から保育園への送迎ヘルパーさんもなるべく同じ方にお願いするようにしていました。もちろん、突発的な事情で、夫に送りを頼むこともありましたが……。