光野桃「美の眼、日々の眼」

2017.6.13

6月は地味系和菓子がおいしい季節

この季節にまずいただきたい水羊羹。これは希少な白小豆を使ったもので、さっぱりと口の中に溶けたあとに思わぬコクがやってくる、という他にないおいしさ。水羊羹で有名な渋谷区富ヶ谷の京菓司 岬屋の白小豆水羊羹。白と黒、両方に粒餡と漉し餡があり、わたしはより味わい深い粒餡が好きです。水羊羹は午後には売り切れのことも。予約が確実。

6月16日は嘉祥(かじょう)の日です。

この日は古くから、江戸や京都で和菓子にまつわる行事が行われてきました。

奈良教育大学名誉教授、赤井達郎氏の「節句・嘉祥の菓子」(「茶道雑誌」2002年9月号)によれば、この日は江戸城で将軍が諸大名に菓子を賜う日であったそう。

なぜ6月16日かと言うと、古くは平安時代、仁明天皇による嘉祥改元の故事(瑞祥の白い亀が現れた)や、室町時代、武士たちがこの日に楊弓と呼ばれる遊戯用の弓の試合を行い、負けると宋銭嘉定通宝16文で食べ物を買い、勝った方に贈る習慣があったことなど、諸説あるようです。

また宮中でも、文明9年(1477年)6月16日に、饅頭がお祝いとして使われた記述が、御所に仕える女官の当番制日記「御湯殿上日記」に見られます。

しかし何と言っても江戸幕府において、大変重要で大きな行事だったのです。

この日、大名から旗本までが総登城、将軍からさまざまな菓子を頂戴します。

たとえば「饅頭三ツ盛」が196膳、「羊羹五切盛」が195膳など、木の板に杉の葉を敷いた膳しめて1623膳が、500畳の大広間に並べられたと記録があります。

その光景や、立ち昇る甘い香りを想像すると、自然と笑みが浮かんでしまいます。

嘉定通宝の嘉と通の1文字ずつを取って「勝」につながることがこの行事の由来と言われていますが、旧暦の6月16日は今の7月末くらいで、蒸し暑さもまさに本番。

ただでさえ暑苦しそうな江戸城勤めの官僚たちに、当時は貴重であろう砂糖をふんだんに使った菓子を与え、夏バテ防止とストレス解消を狙った、飴と鞭の飴作戦だったのかな、とも思います。

毎年、嘉祥の日にちなんで売り出されるとらや「嘉祥菓子」のひとつ、福こばこ。左から、なりひさご、紅白のはね鯛、御目出糖。 6月10日から16日の間に販売され、小ぶりなサイズはお使い物にも。他に江戸末期の富岡鉄斎の絵をもとに復元した嘉祥菓子7ケ盛や、もっちりした嘉祥蒸羊羹、嘉祥饅頭3個入りなどもあります。予約すると確実。

この嘉祥の日は、明治になると跡形もなく消えてしまいます。

が、ともあれこの季節は、さっぱりとしたのど越しの、シンプルな和菓子が恋しい。

濃いめに淹れた緑茶に、おいしい水羊羹や葛を使った涼しげなお菓子で目にも涼を。

そして6月30日は夏越祓(なごしのはらえ)です。

1年の折り返しにあたるこの日に神社へ行くと、茅の輪が置かれているところも多くなりました。

左足から茅の輪をくぐり、本殿に歩いて、半年間の罪穢れを祓い、残り半年の無病息災を祈願します。

この日にいただくお菓子「水無月」も、以前より多くの和菓子屋さんで目にするようになりました。

日本の文化に寄り添い、季節ごとにひとびとを慰めてきた和菓子。歳を重ねて、そんな味わいに幸せを感じるようになりました。


*参考資料
赤井達郎著「節句・嘉祥の菓子」茶道雑誌2002年9月号
平山敏治郎著「嘉祥」民俗学研究所紀要 第28集
須川妙子著「門跡寺院における江戸時代の嘉祥」生活文化史 41号
富岡鉄斎 「嘉祥菓子図」和菓子第10号

  • 京都は亀廣永の琥珀羹、したたり。黒糖、和三盆、ザラメと3種の砂糖を用いただけなのに、他では絶対に味わえない気品と気骨の甘さの王国。甘い、という概念が一気に変わってしまいます。まさに口の中で滴るおいしさ。本来は、祇園祭の菊水鉾の茶屋で供されるものだそうですが、通年扱っています。東京では伊勢丹和菓子売場に扱いがあります。
  • 京菓司 岬屋の苔清水。吉野の本葛を使った、この季節ならではの涼しげなたたずまいに、梅雨の鬱陶しさも忘れそうです。
  • 夏越祓の6月30日のお菓子、水無月。白のういろう生地の上に小豆を載せたものです。小豆は悪魔祓い、三角は氷室の氷を表しているそう。旧暦の6月1日は「氷の節句」と呼ばれ、室町時代には幕府や宮中で氷室から氷を取り寄せて口にする日だったそう。氷に手が届かない庶民が氷を模して作ったものが水無月だそうです。夏の季節菓子の中でも、もっとも素朴さを感じさせるのもそのせいかしら。写真は岬屋のもので下は黒糖タイプ。