光野桃「美の眼、日々の眼」

2017.6.27

大切なことは小さな声で、ささやくように語りかける

梨木香歩のベストセラー小説「西の魔女が死んだ」に、関連の2作品を改稿、さらに書下ろしを加えた「梨木香歩作品集 西の魔女が死んだ」(新潮社)。表題の作品は2008年に映画化され、シャーリー・マクレーンの娘であるサチ・パーカーが英国人の祖母を演じたことでも話題になった。

みなさんは、梨木香歩の小説「西の魔女が死んだ」を読んだことがありますか?

初版は1994年。この時、わたしは読んでおらず、初めて手に取ったこの作家の作品は、2002年のエッセイ集「春になったら苺を摘みに」が先でした。

9.11直後のアラブに移住した頃で、このエッセイ集に、当時もっとも知りたかった寛容と不寛容について書かれていることに衝撃を受け、以来、すべての著作を愛読するようになりました。

「西の魔女が~」も新潮文庫で確かに読んだのですが、当時、最高に忙しく、生活も混乱していて、その書かれた真意を汲み取ることはできませんでした。

今年4月に出た「梨木香歩作品集 西の魔女が死んだ」を繙き、四半世紀ほども前に、いまの世界の不穏と人々の心の不安を予言したかのような作品が書かれていたことに驚きました。
 

魔女のレッスン

学校に足が向かなくなってしまった少女、まいが、森の中に住む祖母とともに暮らし、魔女になるレッスンを受ける。この物語のあらすじを簡単に書くと、こんな感じです。

魔女とは、中世ヨーロッパで、薬草を取り扱う薬剤師であり、占い師であり、預言者でもあるといった特殊な能力を持つ女性のこと。祖母はその家系に生まれた英国人でした。

物語の最初から、植物がふんだんに登場し、森の中の湿った木の葉の匂いや、かまどにくべられた小枝のはぜる音が聞こえてくるかのようです。

そしてサンドイッチに挟むキンレンカの葉や、まいが毎日水をやって世話をする、水色の花びらを持つ小さなきゅうり草、陽の射さない場所に真っ白の幽霊のような姿で、銀色の涙型の鱗を茎にまとって群生する銀龍草まで、珍しい植物が登場します。

植物と共生し、洗濯物を足で押し洗いしたり、心が落ち着かなくなった時は温かいミルクたっぷりの紅茶を淹れて飲むといった、ゆったりと流れる祖母との暮らしの中で、まいは魔女になるために必要なことを学んでいきます。

それは、規則正しい生活をすることであり、決めたことを毎日行うことで意志を強く持つことであり、直観に従って自分が本当に聴きたい言葉を聴く訓練をする、という一見何でもないようなこと。

でも、わたしたちの暮らしにいま、欠けがちな事ばかりです。
 

声高に叫ばずとも

この作品集のあとがきには、著者のこんな言葉が書かれています。

――ただシンプルに素朴に、真摯に生きる、というだけのことが、かつてこれほど難しかった時代があっただろうか。

そしてこう続きます。

社会は群れとして固まる傾向が強くなり、声の大きなリーダーを求め、個人として考える真摯さは揶揄され、ときに危険視されて、異質な存在を排除しようとする動きがますます高まってきた。(あとがきより)

こんな社会の急激な変化、しかしよく考えてみれば決して急激ではなく、もうずいぶん前から用意周到に準備され、あるいはどうしようもなく押し流され、抵抗の術もなく流れにのってきてしまった、

そう考えると苦い思いが湧き起り、絶望的な気持ちになることもありますが、

それでも梨木香歩の言う「私たちは、大きな声を持たずとも、小さな声で語り合い、伝えていくことができる」という言葉を信じたい、信じようと思うのです。

この作品集には、まいが両親と暮らすために去った後の、最晩年の祖母の一人語りの掌編も収められています。

書き下ろされたこの一篇に流れる、祖母が迎える晩年の透徹したたたずまいにため息が出ます。

何も特別なことをせずとも、日々の暮らしをただ、こつこつと丁寧に続けること。

それがどれほどとうとく、豊かであるかを、これほど美しい言葉で気づかせてくれる作品は、他にありません。

この本を読むと、誰もがそれぞれの胸の奥にしまい込んだ、大切なことを思い出すでしょう。

そして、伝えたいことは小さな声で、優しく、かつ正確な言葉で語りかければいいのだ、という穏やかな気持ちになれるのです。