このような安心感をベースに、地方から東京、大阪、名古屋といった大都市に出てきた若者たちは、自由恋愛によって結ばれ、プロポーズからハネムーンまで商品化された結婚をめぐる一連の儀式を経て、男性稼ぎ手モデルを前提とする性別役割分業に基づいた家族を形成していった。

男性が会社に雇われて働くサラリーマン化、そして、ほとんどの人が結婚する皆婚社会化の二つの条件が揃ったことで、「男は仕事、女は家庭」という分業が一般的になる。出生率も1974年までは2を超えており、イメージとしてのおじさんと実態としてのおじさんが、最も接近した時代であった。

ただし、あくまで「夢」が競争を促すための原動力である以上、現実には誰にでも手に入れられるわけではなかった。「夢」としてのサラリーマンは、実際の平均的な人々の生活水準よりも高めに設定されていたのである。カー、クーラー、カラーテレビの3Cは、どこの家庭にも普及したのではなく、あくまでみんなが欲しいと願った「夢」の耐久消費財だった。

 

自分を「中の上」と思い込んでいた日本人


興味深い事実がある。1970年代半ば、富裕層の半数程度しか自分たちの暮らしぶりを「中の上」としか認識していなかったが、他方で、経済的には貧困層に位置づけられる人々でも、それなりの数が自分たちを「中の上」と考えていた。

高度成長の恩恵が広い範囲に行き渡っていたため、ある程度の経済格差があったとしても、日本で暮らす人々が一体感を持てたのだと考えられる。

やがて働くことが、ほぼ会社に雇われて働くことと同義になっていく中で、サラリーマンは「夢」から「平凡」へと転落する。1980年代後半には、現代でも「平凡」なサラリーマンを揶揄する言葉の定番である「社畜」が登場した。

この時期には、働きすぎを原因とする過労死が社会問題となっていたこともあり、「平凡」な生き方にすぎないはずのサラリーマンは、見返りよりも損失の方が大きいのではないかという疑念が浮上しつつあった。

その後、「もはや会社にぶら下がって生きていける時代ではない」との警告が、1990年代前半のバブル崩壊、2000年前後の大量リストラ、そして、2008年のリーマン・ショックをきっかけに、わずか二十年足らずの間に三度も繰り返される。この間、常に経済格差は拡大し、社会学者からはもはや日本は格差社会ではなく階級社会だという主張もなされた。

2010年代には、性別役割分業に肯定的な若者が増加し、それを保守化と捉える向きもあった。しかし、豊かさも貧しさも親から子へと連鎖する階級の固定化に加えて、とりわけ20代では男女問わず非正規雇用の多くなったこともふまえれば、的外れの指摘だと言える。

一人が働けば家族を養えるという男性稼ぎ手モデルは、「平凡」から「夢」へ、そして、「夢」から「理想」へと急速に反転していったのである。ただし、高度成長が後に控えていた時代とは異なり、この「理想」はほとんど実現の可能性がない以上、「理想」ではなく「虚構」と表現する方が適切かもしれない。

もちろん、正社員で既婚・子持ちという「標準」を基準・モデルにしてしか自己規定できないことに対して、多くの中高年男性たちが無自覚すぎるのは確かである。男性という性別が、自分の生き方にどのような影響を与えているのかを当の男性たちが意識することが、イメージとしてのおじさんを更新する上で大切な契機の一つであることは間違いない。

ただし、それ以上に重要なことがある。歴史家のE.H.カーは、1961年にケンブリッジ大学で開催された講演の中で、次のように主張した。「自分の社会的および歴史的な状況を超越するという人間の能力は、それに自分がどんなに巻き込まれているか、それを認める感受性の如何によって左右されているように思われます」。

男性たちに自分の人生を反省的にとらえなおす機会を提供しないような社会とはどのような社会なのか。そして、おじさんのイメージがいつまでも更新されず、それを人々が現実と見紛う社会とはどのような社会なのか。現状を超えるような未来を描きたいのであれば、おじさんを「時代遅れ」の象徴として切り離すのではなく、過去と現代の連続性を認めてこの二つの問いに向き合うしかない。

【参考文献】
E.H.カー『歴史とは何か』岩波書店
橋本健二『新・日本の階級社会』講談社
池上知子『格差と序列の心理学 平等主義のパラドクス』ミネルヴァ書房
加藤秀一『知らないと恥ずかしいジェンダー入門』朝日新聞者
杉田真衣「働く若者はどう語られてきたか」小谷敏編『二十一世紀の若者論』世界思想者
梅沢正『サラリーマンの自画像 職業社会学の視点から』ミネルヴァ書房
見田宗介『現代日本の感覚と思想』講談社
成田龍一『戦後史入門』河出書房新社

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田中俊之/大正大学准教授
1975年生まれ。武蔵大学人文学部社会学科卒業、同大学大学院博士課程単位取得退学。博士(社会学)。学習院大学「身体表象文化学」プロジェクトPD研究員、武蔵大学・学習院大学・東京女子大学等非常勤講師、武蔵大学社会学部助教を経て、大正大学准教授。専門は、社会学・男性学・キャリア教育論など。著書に『男性学の新展開』、『男がつらいよ 絶望の時代の希望の男性学』、『男が働かない、いいじゃないか!』など。共著に『不自由な男たち その生きづらさは、どこから来るのか』など。