「演劇」を活用し、さまざまなコミュニケーションで教育活動を行ってきた劇作家で演出家の平田オリザさん。大学入試改革にも携わっている平田さんは、演劇を学ぶ初の国公立大として、2021年度に開校する予定の国際観光芸術専門職大学(仮称)の学長就任も決まっています。連載「22世紀を見る君たちへ」では、これまで平田さんが「教育」について考え、まとめたものをこれから約一年にわたってお届けします。
===================================

兵庫県豊岡市の文化政策、あるいは教育政策の特徴は、それが深く「地方創生」すなわち人口減少対策と結びついている点にある。

この連載の初回に、豊岡市では市内38のすべての小中学校で演劇的手法を使ったコミュニケーション教育を導入していると書いた。最初はモデル校を定めて私が授業を行い、三年をかけてすべての教員が演劇を使った授業が行えるように基盤作りを進めてきた。

地方創生戦略から生まれた、世界でも類を見ない「学びのかたち」_img0
 

豊岡市教委の狙いの一つは、若手教員の授業力の向上にあった。この授業は、総合的な学習の時間に行われるので、担任になったすべての教員が実施をしなければならない。こうして、演劇教育の授業を経験することで、特に中学の先生が自分の教科の授業もアクティブラーニング化する一つのきっかけにしようと市教委は考えた。

豊岡は人口約8万人、同市を含む兵庫県北の但馬地域でも16万人ほどだが、面積は広大で東京都全域に等しく、兵庫県の4分の1を占めている。そのため、教員は、但馬圏域内での異動が主であり、団塊の世代が抜けたあとの大量採用の時代に採った若い教員たちをいまきちんと育てておけば、将来、確実に、但馬の教育を背負っていく人材となってくれる。

現在は小学6年生と中学1年生が、各学期三時間ずつのコミュニケーション教育の授業を受けている。来年度(2019年度)からは、低学年向けにもモデル授業を開始し、効果を測定しつつ全校実施を目指すことになっている。

先に記したように、これらの施策の多くの部分は、地方創生の予算でまかなわれている。子育て支援はもちろんだが、教育政策と文化政策がしっかりしている自治体でないと、Iターン者・Jターン者に選ばれない時代になってくるだろうという認識があるからだ。

これまで多くの自治体は、U・I・Jターン者が「来る理由」ばかりを考えてきた。来る理由は「雇用」である。どの自治体も雇用を増やそうと企業誘致、工場誘致に努めてきた。それはもちろん、間違いではない。雇用がなければ人々は戻ってこない、しかしそれは、必要条件ではあるが十分条件ではなかった。

あるいは、Iターン希望者にアンケート調査をすれば、多くの子育て世帯が、「豊かな自然のもとで子どもを育てたい」と答える。様々な統計では、若い世代の三割ないし四割がIターンやUターンを考えているとも言われる。しかし現実には、若者たちは戻ってこない。

岡山県奈義町の項でも触れたことだが、本来、自治体は「来ない理由」に着目しなければならなかった。来ない理由は、「医療、教育、文化」に対する不安である。医療は、全国津々浦々、相当に整備が進んだ。あとは教育と、食文化やスポーツも含めた広い意味での文化、居場所作りである。

実際に、豊岡市では、市主催の演劇ワークショップを東京や大阪で開催している。ここではまず、私が豊岡市の教育政策について簡単に説明をし、これから行うワークショップを豊岡市内ではすべての小中学校で実施していることを伝える。そのあと子どもたちにワークショップを受けてもらい、保護者はそれを見学。最後に、これらがなぜ必要なのかを、この連載で扱ってきたような2020年度の大学入試改革問題などと絡めて再度説明する。

帰り際に、豊岡名産の無農薬・減農薬米である「コウノトリ育むお米」を配り、同時にI・Jターンの資料を配付する。最後に一番値段の高い「移住」という商品を売りつける、これを私は「羽毛布団商法」と呼んでいる。

今どき総務省あたりが主催して幕張メッセなどで行われる「Iターンフェスタ」といった催しに参加したところで、自治体からすれば砂漠に水をまくような気持ちになる。参加者の側も、似たような内容のパンフレットや資料だけが増えて決め手に欠ける。それよりもターゲットを絞り、「豊岡なら将来を見据えた高水準の教育を保証していますよ。安心して移住してきて下さい」と訴えた方が確実に手応えがある。世界有数のアーティスト・イン・レジデンスの施設である城崎国際アートセンターを有しており、そこでは毎月のように公開リハーサルが行われているので、国内外の最先端のダンスや舞台も無料で観劇できる。無農薬の食材も安定して手に入りやすい。こういった、いわゆる各種の「ソフトパワー」を前面に押し出して、I・Jターンを呼び込もうというのが豊岡市の地方創生戦略だ。

県からの払い下げ施設であった城崎国際アートセンターの成功は、県知事からも高い評価を得た。私はこの施設の芸術監督として、また、市の文化政策担当参与として、豊岡市の文化政策および教育政策に深く関与することとなった。

そんなある日、但馬空港から伊丹空港へと向かう飛行機に中貝宗治豊岡市長と乗り合わせた際に、「専門職大学という制度ができるようなのだが、これを豊岡市に誘致できないだろうか?」と相談を受けた。

専門職大学とは、まさに今年2019年の四月から始まる新しい大学の制度である。大学に関するものとしては、55年ぶりに誕生した新制度で、その名の通り、専門職の養成を旨として、一定時間の臨地実習(インターンなど)が義務づけられている。

主には、既存の専門学校などが大学に昇格することが想定されており、実務家教員を多く採用することなどの条件がある。また、校舎などの認可基準が少し緩くなっている。

当初、中貝市長は、市内に現存する県立但馬技術大学校という職業訓練学校を改組して、観光を中心とした専門職大学にできないかと考えていた。私自身は、そこに演劇を入れてもらえるなら豊岡に移住してもいいと伝えた。40分の短いフライトの間の出来事だった。

他の先進国には、国立大学や州立大学に必ず演劇学部があり、また他に国立演劇学校なども設置されている。韓国では、国公私立あわせて、映画・演劇学部のある大学が100近くある。人口比で言えば日本の20倍だ。これが韓国映画や韓流ドラマの隆盛を支えている。韓国の俳優たちは、大学で現代演劇から伝統芸能までを組織的に学ぶので、普通のドラマも時代劇も出演できる。

それに比べて、例えば私の勤務校の一つである東京藝術大学には、音楽学部と美術学部は(その前身を含めれば)100年以上前からあるが、演劇学部はない。これは異常なことなのだ。

国公立に演劇学部をというのは、日本演劇界の悲願だった。

一方で兵庫県北、但馬地域には四年制大学がなく、これが人口減少、人口流出の大きな要因となってきた。大学の設置は但馬全域の悲願でもあった。

この二つの悲願が大きな推進力となって、専門職大学設置に向けてのプロジェクトが動き出した。既存の職業訓練学校はやはり、本来の役割があり、結局、観光とアートを中心とした専門職大学を新設することとなった。2017年の兵庫県知事選では現知事の公約にも入り、当選後には動きが加速した。もちろん、まだ今年は申請、来年は認可というハードルがあるが、順調に進めば2021年4月には、豊岡駅前に県立の専門職大学が開学する。紆余曲折あって、私はその新設大学の学長に就任することが内定している。

 
  • 1
  • 2