釧路湿原を見下ろす高台にあるひなびたラブホテルを舞台に、行き交う人々のセックスと日常を描く映画『ホテルローヤル』。舞台として登場するラブホテルは、かつては実在した場所ーー原作小説の著者・桜木紫乃さんのお父様が、彼女が中学3年の時に1億円の借金をして開業したものです。直木賞を受賞した同作を「デビュー直後からの数年が詰まっている」と語る桜木さんですが、今回の映画化によって自身でも気づかなかった作品のテーマを気付かされたとか。それは「セックス」を通じて描かれた、がんじがらめな世界で生きる人々の「前向きな逃避」だといいます。

 


波瑠さんの「無表情の演技」の使い分けに女優の腕前を感じた


桜木紫乃さん(以下、桜木さん):完成した映画を拝見して、武監督は『ホテルローヤル』を映画化したんじゃなくて、『ホテルローヤル』を書いた私を、描きたかったんだろうな、と。確かに私は「ホテルローヤル」の娘で、15歳の頃から客室の掃除を手伝っていたことも間違いありません。でも小説は自分のことを描いたつもりはまったくなく、あの時、あの場所にいたかも知れない人を虚構として描いたものだったので。でも映画監督という職業の人が見たら、作品から私が漏れ出ていたんだろうなと。そうならないよう腕を積んできたつもりだったけれど、バレてるじゃん、って(笑)

映画の舞台、冒頭で美しく光る湿原は、桜木さんが生まれ育った釧路の風景です。父親は釣りが趣味で、桜木さんはよくお父さんに釣りに連れて行ってもらったのだとか。作品には一行も描いていないそのことが、密かに盛り込まれていると言います。


桜木さん:事務所においてあるものって、社長の性分を表す道具だと思うんですよね。そこに釣りのルアーが置いてある。武正晴監督は、私の書いたものを随分読んだんじゃないかなと思います。「あそこで書いてたことを、ここでやってるんだぜ」っていう、何か詰め寄られるようなメッセージのように思いました。

主人公は「ホテルローヤル」の跡取り娘、波瑠さん演じる雅代です。作品を見た桜木さんの印象に強く残ったのは、濃い共演者の中で際立つ彼女の「無表情の演技」だったと言います。

映画『ホテルローヤル』より©桜木紫乃/集英社 ©2020映画「ホテルローヤル」製作委員会

桜木さん:無言を貫く「強い北海道女」そのものでしたが、よーく見ると、無表情の中にずいぶん変化があるんですよね。高校を卒業したばかりの時の不満げな無表情や、日常を受け入れて仕方なく仕事している無表情、どんな刺激にも慣れきってしまった無表情と、全部使い分けてる。全部波瑠さんが作り込んだものだとか。素晴らしく腕の立つ女優さんだなと思いました。作品の中で、雅代が父親に対して「巻き込まないでよ!」って怒る場面があるんですけれど、私自身は父には反抗はしませんでしたね。父の言うことを丸呑みで、親のためにやろう、親のためにこの家を継ごうと思っていてーーでも好きな人ができたら結婚してしまった。家に対する思いは、好きな人ができたら捨てられるくらいのものだったってことです。そこが決定的に違う。私の気持ちというのはそこまで父に近くなかったのかもしれないなって思います。

 


毎日ホテルにやってくるほど
セックスってそんないいいものなの?


家業である「ホテルローヤル」を継ごうと思っていた頃を、桜木さんはこう振り返ります。

桜木さん:ご飯食べてる最中に「客室が足りないから」と言われて、掃除しに行って、またご飯に戻る、そういうことが当たり前だったんで、セックスが特別な行為だと思ったことないんです。雅代が「セックスって、いいものですか?」というような事を言いますが、そう言えば私もそう思ってたなって。毎日ホテルに来てやるほどいいものかなと。
一方で、本当に毎日しなきゃいけない人がいるというのを知ったのも高校生の時でした。うちの出入り業者の男性でしたが、大変そうでしたね。奥さんも「毎日は相手はできないから、好きな人としてきていい」って。場所はウチなんですよ、勝手を知ってるし、ツケもきくし。色んな人がいるなって。「毎日するなんて……」って、少し離れたところから見るとちょっと笑っちゃう、喜劇に思えるけど、本人にとっては切実な問題、悲劇なんです。体の問題も精神的なものも含めて、気の毒だなって。

『ホテルローヤル』はラブホテルを舞台に描いた7つの短編小説で構成させています。ひとつひとつの作品は桜木さんのそうした経験から発想、創作されたものです。特に映画でも冒頭で描かれる「シャッターチャンス」ーー倒産し廃墟となったホテルローヤルでカップルがヌード撮影をするエピソードーーは「官能」を描く作家として知られたデビュー当時のものですが、そこから始まる連作のバラエティは、桜木さんの作家としての広がりそのものを追ったものと言ってもいいかも知れません。

桜木さん:「シャッターチャンス」は、文芸誌の「官能特集」で書いたものだったのですが、それが担当編集者に響いたのか、「ここを舞台に遡って、最後は開業するエピソードを書きましょう」と言われて。そうか、と思いながら1本1本、全部で7本書きました。潮目が変わったのは、映画で2つ目のエピソード「星を見ていた」を恐る恐る書いた時。まだ官能、官能って言われていた時期だったし、すっごく地味なのは分かっていたんですが、正直、これがボツだったら、小説に対する考え方を変えなきゃいけないなと。作家としての私を変えてくれた1本でした。

映画『ホテルローヤル』より©桜木紫乃/集英社 ©2020映画「ホテルローヤル」製作委員会

ホテルで働くパートさんの夫婦愛と親子の悲しさ、汲々とした生活を送りながら妻の稼いだ僅かなバイト代でホテルに通う中年夫婦、行き場を失った教師と女子高生の恋愛抜きの逃避行……人々がセックスをする目的は必ずしもセックスではなく、たとえセックスがあったとしても、描いているのはセックスそのものとは少し異なります。

桜木さん:当時の「ホテルローヤル」は、一家が生きてゆくため、食べてゆくための場所で、大切な家業でした。借金を返すことに必死で。そこがどんな場所だったのか考えたのは、小説を書き始めてから。虚構で書くことによって、誰もが必死で生きていたことがわかりました。たまたまラブホテルを家業とする家の娘となったことで、この世にはいろんな仕事があっていろんな人がいるということを内側からも外側からも眺められました。経験は宝です。


カメラが寄ると悲劇だけど、引くと喜劇な人間模様を描きたい


桜木さん:私が描きたいのは「人間」で、官能も、それを表現する時に必要なもののひとつとして受け止めていますね。男と女の役割が逆でもいい。人間を描けるなら、何とでもしようと思っています。今、55歳なんですが、20代の自分の子供と、80代の自分の親のど真ん中にいるので、今しか書けないものという意味では、老いと家族ーーと、男と女みたいなものを書きたいなという気持ちがあります。さっきも言ったように、人間ってカメラが寄ると悲劇だけど、引くと喜劇ってありますよね。そんなところを書いていきたいなあ。カメラを自在に操れる人になりたいんです。こうやして映像化してもらうことで、そういう方面の発想と出会えるんですよね。そうやって別の作り手から放たれた球を、私が温めて投げ返すのもいいなと。

ちなみに『ホテルローヤル』を掘り下げ映画化した武正晴監督からもらった「球」は、「前向きな逃避」という言葉だったとか。雅代がそれまでの無言を打ち破り、踏み出す最後のエピソードはまさにそれを描いたものです。それは自分の生まれ育った場所や家族、あらゆるしがらみによってがんじがらめになった女性への救いであり、桜木さんの小説の中で「男と女には体を使って遊ばなきゃいけない時がある」という言葉とともに描いたセックスは、その一つの形のようにも思えます。

映画『ホテルローヤル』より©桜木紫乃/集英社 ©2020映画「ホテルローヤル」製作委員会

桜木さん:そうですよね。実はあのセリフ、単行本のゲラの時点で読んだ時に、私のほうで一度抜いたんですよ。そうしたら「大事なセリフなので、抜かないでください」と言われて。よく見たら原作本の帯にも書いてあって、そんなに大事な1行だったんだって。原作者ってなんにも分かってないんだなあって思います(笑)。

 

桜木紫乃 Shino Sakuragi
作家。1965年北海道釧路市出身。2002年「雪虫」で第82回オール讀物新人賞を受賞。2007年、同作を収録した『氷平線』で単行本デビュー。2013年『ラブレス』で第19回島清恋愛文学賞、『ホテルローヤル』で第149回直木三十五賞を受賞。受賞の際の服装(ゴールデンボンバーの鬼龍院翔が愛用しているタミヤロゴ入りTシャツを着用)や、質疑応答で一躍注目を集める。2020年『家族じまい』で第15回中央公論文芸賞。原作の映画化は『起終点駅 ターミナル』(15/篠原哲雄監督)に続き2作目。その他の映像化作品に「硝子の葦」(15/WOWOW)、「氷の轍」(16/ABC)がある。著作に『裸の華』『砂上』『ふたりぐらし』『光まで5分』、『緋の河』、『家族じまい』など多数。現在も北海道在住。

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<映画紹介>
『ホテルローヤル』
11月13日(金)より
TOHOシネマズ 日比谷ほか全国ロードショー

©桜木紫乃/集英社 ©2020映画「ホテルローヤル」製作委員会

桜木紫乃の第149回直木賞受賞作を映画化。北海道の釧路湿原を背に建つラブホテルを舞台に、ホテルと共に大人になっていく一人娘雅代の目線を主軸に、ホテルを訪れる人々や従業員、経営者家族それぞれが抱える人生の哀歓をやわらかく描く。原作者の桜木自身を投影したとされる主人公・雅代を演じるのは、ドラマ・映画と多彩な作品でその存在感を示す女優・波瑠。監督は『百円の恋』の武正晴。

監督:武正晴
脚本:清水友佳子
出演:波瑠、松⼭ケンイチ、余貴美⼦、原扶貴⼦、伊藤沙莉、岡⼭天⾳、正名僕蔵、内⽥慈、冨⼿⿇妙、丞威、稲葉友、斎藤歩、友近、夏川結⾐/安⽥顕
原作:桜木紫乃「ホテルローヤル」(集英社文庫刊)
https://www.phantom-film.com/hotelroyal/

配給:ファントム・フィルム
©桜木紫乃/集英社 ©2020映画「ホテルローヤル」製作委員会

撮影/塚田亮平
取材・文/渥美志保
構成/川端里恵(編集部)