写真:ロイター/アフロ

就職活動のマナーについて「男性向け」「女性向け」という二元論で、画一的な服装や振る舞いが押しつけられる「就活セクシズム」を改めて欲しいというネットの署名が注目を集めています。

 

就職活動の時期になると、皆がまるでコピーのように同じ服装をしたり、細かい就活マナーを列挙した指南本が大量に書棚に並ぶのは、先進国では日本くらいであり、客観的に見て異様であることは間違いありません。当然のことですが、こうした画一的な価値観の中には、性差別が無意識的に入り込むのが常ですから、ネット署名で主張されている内容ももっともでしょう。

筆者が就職活動をしていたのは30年近く前になりますが、当時からいわゆるリクルートスーツの問題が議論されており、服装自由の面接を行う企業がメディアに取り上げられるなど、今とほとんど同じ状況でした。つまり、日本では30年以上も同じ問題を議論し続けているにもかかわらず、まったく事態が進展していないことになります。

では、なぜ日本では就活に関する諸問題が批判されながら、まったく変わる気配を見せないのでしょうか。このテーマは実は根が深く、突き詰めて考えると日本社会全体の課題に行き着きます。

就活マナーが議論されると、決まってマナー本や就活を支援する人材企業などに対して「価値観の押しつけ」であるとして批判の矛先が向くのですが、マナー本の執筆者や人材会社が就職活動の世界を支配しているわけではありません。彼等はビジネスとしてこの課題に取り組んでいますから、就活生が求めているものを商品として提供しているに過ぎないのです。

おそらくですが、マナー本や就活セミナーなどにおいて、こうした価値観を提示するのをやめたとしても、ネット上で類似の情報が飛び交い、就活生は結局、同じような画一的な振る舞いを繰り返すでしょう。

では、こうした画一的な振る舞いは採用する企業側が強制しているのでしょうか。確かに一部の企業では、軍隊のようなカルチャーで、画一的な振る舞いを要求していますが、それは全体からするとごく一部です。企業の人事担当者に話を聞くと、皆が同じような服装で同じことばかり言うので、逆に点数を付けられなくて困るという発言すら出てきます。


つまり世の中の誰もが画一的な服装や振る舞いを直接的に強制していないにもかかわらず、こうしたカルチャーが広く共有されるという摩訶不思議な状況が起こっているのです。これが日本社会における、いわゆる同調圧力(あるいは忖度、あるいは空気)と考えてよいでしょう。

同調圧力というのは、誰か力を持った人が、その権力を背景に特定の行動や発言を強要するのではなく、社会全体として誰が発言するわけでもないのに、事実上の強要が行われることを指しています。

 
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