スタイリングディレクター大草直子著『飽きる勇気〜好きな2割にフォーカスする生き方』より、「変化を恐れず自分軸で生きるアイデア」を一日ひとつずつご紹介します。

1日30分でも「私」に戻れる場所を作る。仕事・家事・育児を忘れて【自分軸で生きる練習】_img0
 

「ヴァンテーヌ」は、私のおしゃれの基礎を作ってくれた、大切な雑誌です。初めて手に取ったのは、忘れもしない、大学2年生の頃でした。
まだバブルの余韻が残っていた1990年代。ブランドものを持つことがおしゃれのステイタス。トレンドもシーズンごとに目まぐるしく変わって、華やかであることがおしゃれの醍醐味。ブランドもののバッグが女子大生のアイコンのような時代でした。

そんななか、「ヴァンテーヌ」が打ち出していたのは、「知性のあるおしゃれ」。お金をたくさん使わなくても、スタイルが抜群によくなくたって、きちんと考えて選び、組み合わせれば、清潔感があって知的なスタイリングをすることができる――そんな、おしゃれの考え方は、当時の私には衝撃的でした。
いまでこそ、ファッション誌が、独自の着こなしルールを提案するのは、ごくごく当たり前のことですが、当時の雑誌では、コーディネイトやアイテムの紹介記事がほとんど。洋服についての歴史そのものが浅い日本で、ファッションを体系化してくれたのは、「ヴァンテーヌ」が初めてだったのではないでしょうか? 本当に頭をガーンと叩かれたみたいな、初めて読んだときの驚きは忘れられません。まさに目から鱗! 「おしゃれってもっと身近で、アイディア次第で楽しめるものなんだ」と感じたことを覚えています。

これは、後に聞いたことですが、「知性のあるおしゃれ」というコンセプトは、当時の華やかで戦闘服のようなファッションに違和感を抱いている女性たちがきっといるはず――そんな思いから誕生したのだそう。
まさに、私自身がそのひとりでした。
この話を伺ったとき、「メディアには〝ここにいていい〟という、居場所を作る力があるんだ」と、編集者という仕事の素晴らしさを実感したのを覚えています。そして、編集者という枠を超えて働くいまにも、「伝えることによって女性たちの居場所を心地よくしていきたい」――この思いは繫がっているような気がします。

そんな、大好きな「ヴァンテーヌ」編集部での仕事は本当に、「楽しい!」以外の何ものでもありませんでした。
編集者の役割は、ディレクター業です。
ページ構成を考えてスタッフを決め、撮影を円滑に進め、デザイナーやライターとのやり取りを経て、印刷所に入稿し責了するという、雑誌作りの全体を把握するのが仕事です。ですが、当時の婦人画報社は、編集者がスタイリストとライターの役割も担っていました。ひとりで2役、3役こなさなくてはいけないため、当然、仕事量は膨大です。そのうえ、入社1年目の新人。毎日目まぐるしくて、休日もないような生活でしたが、それ以上に、大好きな編集部で働けることが、本当に嬉しくて楽しかったのです。

〝モーレツ仕事人〟というほどに働いていた当時、友人と遊べるのは、週末の夜だけ。そんなとき、友人に連れて行ってもらったのが、サンバクラブでした。
もともと、中学3年間ダンス部だったので、踊ることは大好き。バレエやジャズダンスを習っていたこともあり、ダンスは得意です。仕事の疲れを発散したかったのもあったでしょう、楽しすぎて、時間を見つけては、サンバクラブに通い、踊っていました。
時には、あまりに激しく踊っているから、「インストラクターさんですか?」って聞かれたり、外国人たちに担ぎあげられてリフトされた記憶も(笑)。
のめり込むみたいにサンバの魅力に夢中になっていたとき、ラテンミュージックの専門雑誌で見かけたのが、サルサパーティーの案内でした。サンバとの違いもわからず行ってみたら……、さらに深くハマってしまいました。
サルサは、ラテンダンスの一種で、男女のペアダンス。男性にリードされて踊るのなんて初めてだし、うまく踊れないのが悔しくて、悔しくて……。パーティーに行った次の日から、レッスンに通い始めたほどです。

 

先ほども書きましたが、編集者は、ページ作りのすべてを率いることが仕事です。スタッフよりも早く現場に入って準備をしたり、現場がスムーズに運ぶようにコーディネイトしたり……。そんな先回り、先回りの毎日に対し、サルサでは、女性は「ためる」という待ちのスタンスを求められます。いつもとは違う、「待つ」という姿勢が、とても新鮮で、面白くて、取り憑かれるようにのめり込んでいきました。スペイン語で歌われるラテンアメリカの悲しい歴史、もちろんロマンティックな愛の世界に強く惹かれたのもあります。一見底抜けに明るく見えるラティーノたちが日本に出稼ぎに来る社会背景を知りたくて、本もたくさん読みました。そして遠い国への強い哀愁、郷愁は日に日に募っていった――運命ですね。

仕事も、入社して4年目、ひと通りのことはできるようになり、余裕も出て、〝こなす〟ように仕事ができるようにもなっていました。また、同時に「ヴァンテーヌ」的な、知的でロジカルなファッションよりも、南米的なカラフルでセクシーなファッションに魅力を感じていったのです。
そして、入社して5年目の秋、会社を辞めてサルサの本場・中南米に遊学することに。
ただただ、サルサの本場に行きたい、その思いからだったので、期間も行き先もノープランです。ホテルに泊まって、早朝から夜中まで、踊って飲んで。街や国を移動するたびに、日本の両親に国際電話をかけて居場所を告げる――そんな自由で気ままな、すごく楽しい毎日でした。真っ黒に日焼けして、現地の人とビーチバレーをしていたら「日本人ですか? うちで働きませんか?」って旅行会社の方から声をかけられたりもして(笑)。

サルサはいまでも、私にとってはかけがえのない存在です。成功や勝ち負けもない、もちろん肩書も一切必要のない、まさに、サードプレイス! サルサに出会って本当に人生が変わったし、救われたことがたくさんありました。仕事や家事、育児、介護など、私たちはたくさんの役割を抱えてしまいがちです。だからこそ、「私」に戻れるサードプレイスを持つことが大事なんです。
私の場合は、サルサという趣味でしたが、ひとりで行くお気に入りのカフェや自宅でのコーヒータイムだっていい。一日30分だけでもいい。母でも妻でもなく、ただ自分になれる場所や時間があることは、すごく大切なこと。私自身、妊娠中や出産後も、サルサだけは辞めなかったほどです(笑)。  

祖母の体調が悪くなり、遊学は半年で終えて帰国することになりますが、中南米にはその後も幾度となく訪れました。縁あっていまの夫もベネズエラ人。第2のホームタウンであることは、間違いありません。
そして、6ヵ月間、我を忘れて遊んだから「またしばらくは必死に働こう」と心に誓ったことも、付け加えておきます。
 


出典:大草直子著『飽きる勇気〜好きな2割にフォーカスする生き方』(講談社刊)
取材・文/畑中美香


覚えておきたい!
大草直子の「自分軸で生きる方法」

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