スタイリングディレクター大草直子著『飽きる勇気〜好きな2割にフォーカスする生き方』より、「変化を恐れず自分軸で生きるアイデア」を一日ひとつずつご紹介します。
スタイリスト、ブランドコンサルタント、コンセプトディレクター。そんな肩書で呼ばれることの多い私ですが、キャリアの始まりは女性ファッション誌の編集者です。
編集者の仕事は、全体の構成を考え、カメラマンやスタイリスト、モデルやヘアメイク、ライターといった方々のスキルを集め、ひとつの企画を作り上げる、ディレクターであり、まとめ役。
ただ、私が新卒で入社した会社は、編集者がスタイリストとライターの役目も担うのが当たり前でした。ですから私自身は、肩書は何でもいいと思っていますし、現在の仕事も、「大草直子」個人として、スタイリストや編集者の立場でメディアづくりに携わることもあれば、経営している会社では、ファッションをはじめ、家具や空間、文具などのブランドの認知度を上げるためのコンサルタントとして黒子に徹することもあります。また、「AMARC(アマーク)」というセルフメディアでは、ファッションやライフスタイルにまつわるアイディアをご紹介するほか、ブランドとコラボレーションして洋服を制作&販売するなど、やっていることは、本当にさまざまです。
ですから、ひと言でいまの仕事をお伝えするのは難しいのですが、私というフィルターを通して、ファッションをはじめとしたブランドの世界観やメッセージを伝え、おしゃれに対するモヤモヤやストレスをすくい取り、それを解消するお手伝いをする、言うなればトランスレーター(翻訳者)なのかも。
幸いなことに、10年、20年とキャリアを積み重ねるなかで、16冊もの本を出版する機会にも恵まれました。長くコンサルタントとして関わらせて頂くクライアントさんも増え、皆さんのお役に立てているのかなと、多少なりとも手応えを感じている日々です。
そんななかで、多くの方が「いつも楽しそうですね」とか、「パワフルでエネルギッシュな大草さん」というふうに私を見てくださっているよう。本当にみなさんの目に、私がそう映っているのだとすれば、それは後天的に、仕事を通じて身につけた部分が多いかもしれません。
だって、元々は、とっても引っ込み思案で自信のない子供だったから。
私の父は銀行員で、母は専業主婦。妹がふたりいる三姉妹の長女です。小中高と国立大附属の学校に通っていたということもあり、まわりはお金持ちだったり、勉強や運動が得意な子ばかり。私自身は、ずば抜けて何か得意なことがあるわけでもなく、何をやっても真ん中から少し下のレベルの子供でした。
4年生のときには、いじめが原因で不登校も経験しました。 朝、学校に行く時間になるとお腹が痛くなって熱がでる――そんな毎日でした。
いじめの理由は、単にターゲットになる順番が回ってきたとか、少し目立つから……、みたいな、いま思えばよくあること。けれども、子供にとって学校は、世界のすべてみたいなもの。毎日辛くって、死ぬことばかり考えていたのは、いまでもはっきりと覚えています。
私の記憶では、2週間ほどの不登校期間だったのですが、先日、同級生と話していて、「直ちゃんは4年生のとき、半年学校に来なかったよねー」と言われ、噓でしょ⁉ って、自分でも驚きました。イヤで、イヤで、きっと、幼心に〝半年間家にいた〟記憶を消していたのかな、と思います。
ただ、そのとき両親から、「学校に行きなさい」と言われたり、学校へ行きたくない理由をしつこく聞かれた記憶は、一切ありません。
それが子供の私にとっては、とてつもなく安心でした。
みんなが学校に行っている時間は、ひたすら読書。この頃から、本を読むことには親しみを感じていたようです。
そんなふうに毎日を過ごししばらく経ったとき、「イヤなら学校を辞めてもいい。だけど、それなら先生には、自分で言いに行きなさい」と、母が学校に連れて行ってくれました。
当時の担任の先生は、熱血体育教師。私が、学校に行かない理由を話すと、「大草、お前いじめられていたのか!」って(笑)。その日をきっかけにいろんなことが次々と解決していき、学校に行けるようになったのですが……。
自分で決めたのなら、自分で先生に言いなさい。 ――母のこの言葉には、子供ながらに「そうか。自分で決めたことなら、自分で言わなくちゃ」と、妙に納得したのを覚えています。
この経験はいまでもことあるごとに思い出されることですが、
「いま、いるところだけが全てじゃない。逃げたっていい」
「自分で決めたことは、自分で責任を持つ」
私が、子育てや生きていくうえで大切にしていることに、少なからず通じているような気がしています。
覚えておきたい!
大草直子の「自分軸で生きる方法」
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