スタイリングディレクター大草直子著『飽きる勇気〜好きな2割にフォーカスする生き方』より、「変化を恐れず自分軸で生きるアイデア」を一日ひとつずつご紹介します。

 

先ほども書きましたが、私のキャリアのスタートは、女性ファッション誌の編集者です。
この道を志したのは中学生のころ。当時の卒業文集に「将来は雑誌の編集者になりたい」と書いてありました! 愛らしくて、甘酸っぱいポエムとともに(笑)。

 

一方で、鮮明に覚えているのが、毎日なんとなくモヤモヤした気持ちを抱いていたこと。取り柄のない自分がたまらなくイヤで、自分を信じることができず、毎日がつまらなかった。
それに、小学校からエスカレーター式で変わらない環境にも、閉塞感や息苦しさみたいなものがあったのだと思います。
小学校から一緒のクラスメイトたちが抱く私のイメージは、明るくって、スポーツが得意で、いつも元気。例えるなら、チアリーダーみたいな子――みんなが抱く大草直子像に、「本当は、人を羨ましがったり、自己嫌悪に陥ったりと、イメージと違うのに」と、ギャップを感じたりもしていました。

きっと、環境を変えたらこのモヤモヤした気持ちは晴れてくるはず! そんなふうに思って、高校2年生のとき、アメリカに一年間留学をすることを決めました。選んだのは、日本人がひとりもいない片田舎の学校でした。同い年とは思えないほどに大人びていたり、ヨーロッパ出身のおしゃれな子たちがたくさんいるなかで、「私はなんて、石ころみたいな存在なんだ」と、とにかく驚きでした。

日本では、国立附属学校に通っていたこともあり、ご近所から見れば「良い学校」に通うよくできるお嬢さんです。 制服姿で歩いていれば、「すごいわね〜」「勉強できるのね〜」なんて、近所のおばさま方に褒められたりして……。
シックなコーディネイトが好きだった母の影響で、トラッドなおしゃれを楽しんでもいたし、モヤモヤしていたとはいえ、温かくて、それなりに〝イケてる〟と自分を認められる環境で育ちました。

けれども、留学先のカリフォルニア州の公立学校にはそんな私を知っている人なんて誰もいません。
しかも、みんな手足が長くてスタイル抜群! 本当に同い年なの? と思うほどに大人びていておしゃれ。とにかく積極的で、スクールライフを全力で楽しんでいてキラキラしていた! 自分のちっぽけさに衝撃を受けたのと同時に、「私は私のままでいいなんて、なんてラクなんだろう。〝大草直子〟を演じなくてよいことの気楽さたるや!」と楽しくなったのを覚えています。

同級生のほとんどが、幼なじみみたいな日本での生活とは、180度違う世界。
当然、私の性格や「今まで」を知っている人なんてひとりもいません。
歩いていたって、誰にも話しかけられないし、授業だってアメリカの学校特有の個人選択制です。日本のような、クラスメイトと呼べるコミュニティはなく、自分からアクションしなければ、コミュニケーションだって取れませんでした。自分で考えて、行動していかなければ、どんなことも進んでいかない環境だったのです。

たった1年間ではありましたが、アメリカへの留学は、モヤモヤしていた私の気持ちを少し晴らしてくれました。それに、自分が世界のなかでいかに取るに足らない存在かを知れたことも、本当に大きかった。
このままの自分でいい。――そう思えたことは、私をとてもラクにしてくれました。

時に、人生のなかでは、直感的に居場所を変えてみたり、知らない環境に飛び込むことって大切だな、と思います。

それってつまりは、「潮目を使う」ということ。
そして、潮目を使うことは、自分を変えるチャンスになります。私の場合は、高校生でのアメリカ留学でしたが、タイミングは人それぞれ。海外に移住したり、会社を辞めたりというドラスティックな変化はもちろんですが、いま住んでいる部屋を引っ越すのだって同じこと。見る景色や感じる匂い、触れる風を意識的に変えていくことが大切だと思うのです。

大きな環境の変化には、反対する人もいるでしょうし、少なからず不安もあると思います。ただ、少しの無理なら、乗り越えていくべきものだと思っています。
「変えたい」「変わりたい」という感覚は、人生における「潮目」が近づいているサイン。このタイミングを逃さずに、いつだって居場所を変えていける人でありたい、いまでも、そう思います。


出典:大草直子著『飽きる勇気〜好きな2割にフォーカスする生き方』(講談社刊)
取材・文/畑中美香


覚えておきたい!
大草直子の「自分軸で生きる方法」

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