「葉子のこと、本当は昔から気になってたんだ。あの頃は勇気が出なかったけど……」

武臣の泊まっていたホテルで初体験の学生みたいに早急に事を済ませた後、仔犬がきゅんと鳴くみたいに告白された。

いつも自信に満ちて見える武臣が、意外にも繊細な一面を見せたことに、私は身体を重ねた時以上に胸の内を摑まれてしまった。

武臣は年に一、二度は出張でパリに来る予定だという。

「また来る。連絡する。待ってて」

武臣がパリを発つ日、私たちは悲劇の主人公のように手を取りあって目を赤くした。去っていく武臣の姿が涙で霞んだ。

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そして私は、生気を取り戻した。

 

自分は不感症かもとすら恐れていたけれど、今は愛され、愛せるという自信がもてる。
そして裏切ってしまった後ろめたさから「夫を大切にしよう」と心がけた。私が優しくできれば、啓介だって悪い奴ではない、優しくしてくれるのだ。

武臣のおかげで、啓介とのギスギスしていた生活がうまく回り始めた。バレたらどうしよう、とハラハラしつつも連絡を続けることで、日々の張り合いも出る。

武臣も家族への、主に奥さんへの不満を漏らしていた。だからといって、お互い離婚して一緒になる気概もない。

不倫は良くない。でもうまくやれば、薬になる。ほどよいガス抜きで、刺激的なスパイス……私はそう結論付け、自分を肯定することにした。

そんなとき、近所のミニシアターの上映ポスターが新しくなった。

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「L'Empire Des Sens(ランピール・デ・サンス)」……辞書を引いてみると「官能の帝国」とでも訳せそうなタイトルだけれど、どうやら大島渚監督の「愛のコリーダ」4Kリバイバル上映のようだ。
阿部定事件を下敷きにし、激しい性交シーンで「ポルノか芸術か」と話題をさらった作品。脚本とスチール写真を掲載した同題名の書籍で、わいせつ裁判まで起きたことも知っていたものの、未見。不倫の話でもあり、ちょっと気になって調べてみると、日仏合作の映画でもあるらしい。フランスの映画館にも行ってみたかったし、良い機会だと足を運んだ。

入れ替えの開館まで外に並んで待っていたら、突然大粒の雨が降り始めた。フランスは急に降り出すことが多い。そのぶん小雨だったり、すぐに止む印象だ。大概のフランス人は傘を持たず、フードでしのいだり、ただ濡れている。

私は天気予報をチェックしていたからすぐに折り畳み傘を広げたけれど、その日は予想以上の大雨で、止むどころか雨脚は強くなっていくようだった。

「Fuck!」

目の前でずぶ濡れになって悪態をついている女性が、気の毒に……というより怖くなって傘をさしだすと、鬼のような形相が天使のような笑みに変わった。

「アリガトゴザイマス」

それがソフィとの出会いだった。

見た目はアパルトマンのようでこぢんまりした映画館だと思っていたのに、中は予想以上に広々としていて開放的なロビーがあることに驚いた。スクリーンがいくつかあるようで、通されたのは小さいホールだったけれど、カラフルな座席が楽しくて気分が上がる。

ソフィは英語が達者で、あいあい傘の流れで並んで映画を観ることになった。
照明が落ち、映画の世界に引き込まれていくなか、あれ、と違和感に気付く。

――そうか、ぼかし……

フランスでは陰部にぼかしが入らない。想像以上の激しさにドギマギしてしまったけれど、ないほうが自然体で観ることができ、変に想像せずに済むかもしれない。
日本映画のぼかしという丸い円は、逆に卑猥で厭らしい表現なのかも、とぼんやり考えた。

「すごかったわね! あなた、どう思った⁉」

映画の余韻でまだ頭がくらついていた私に、ソフィは興奮して感想を求めてきた。
近場のカフェに入り、熱い議論を交わした。久しぶりに心ゆくまでおしゃべりを楽しむことができて、私は映画以上の喜びをかみしめていた。

ソフィはパッシー通りの裏手にある小さなホテルで客室清掃の仕事をしているという。午前中から昼にかけてが仕事のメインで、夕方以降は時間があるらしい。

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私が「夫の仕事でパリにやってきた」と言うと、ソフィは切なそうに漆黒のカフェに視線を落とした。

「いいわね、二人一緒に仲良くなんて。私の夫はアフリカに単身赴任中なの。私、独りの時間を持て余すことも多くって」

それから一緒に散歩をしたり、家でお茶をする仲になるまで時間はかからなかった。今ではソフィの仕事の後、週一回は会っている。
 

パリの街角のリアル
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NEXT:8月13日(金)更新

ソフィをディナーにも招き、啓介にも紹介する。ソフィの赤裸々な恋愛事情、そしてフランス人の浮気の3大要因とは……。


撮影・文/パリュスあや子


第1回「フランスと日本の不倫の代償」>>
第2回「夫に明るい顔を見せてあげるのも駐在妻の仕事のうち?」>>

 
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