りんごがぎっしり詰まった「アメリカンアップルパイ」をはじめ、ニューヨークスタイルのケーキとパイで大人気の洋菓子店「松之助」。今回ご紹介するのは、その「松之助」のオーナーを務める平野顕子さんです。グルメサイトやメディアでも常に高評価を得ている平野さんのお店ですが、実は45歳で離婚するまで、平野さんは一度も働いたことがなかったと言います。人生の転機となったのは離婚後のアメリカ留学、そして留学先で出会った人とのご縁でした。現在はニューヨークと日本を行き来しながら、再婚した旦那様との「サードライフ」を謳歌中。そんな平野さんの“後悔しない”人生の歩み方を知るべく、著書『「松之助」オーナー・平野顕子のやってみはったら! 60歳からのサードライフ』から、その一部を特別にご紹介します。
変化は楽しんだほうがトク
ニューヨークでも東京でも、朝起きて、まず考えるのは、「さぁ、今日はどんな1日になるかなあ」ということです。取り立てて特別なことをするわけではなくて、1日の楽しみを思って心をワクワクさせる感じ。
モーニングコーヒーを飲んで、身支度と薄化粧をして。買いものや散歩に出かけたり、家で食事をしたり、映画を観たり。たまには遠出して趣味の釣りやスキーを楽しむ。何でもないごく普通のことですが、そこにキラキラとした喜びや豊かさを感じます。
そんなふうに小さな幸せをじっくり味わう生活なんて、60歳を過ぎて再婚するまで、まったく縁がありませんでした。
30代は子育ての真っ最中。「目立たぬように」が嫁ぎ先からの申し渡しだったので、「とにかく地味に」を心がけ、自分の意思で生きるとは程遠い人生でした。
40歳を過ぎてからは、テニススクールに通ってみたり、PTA会長を引き受けてみたり、ちょっとだけ表の世界に出ていくようになったかな。ここまでの時代がいわば私の「ファーストライフ」。
45歳で離婚して、心機一転アメリカ留学。Tシャツとジーンズで勉強に没頭する日々でした。「セカンドライフ」のスタートです。留学中は壮絶な孤独の中でじっくり自分と向き合い、人に倣った生き方にgood bye。
ひとりで生きていくことを決心し、自分の意思で歩み始めました。おかげで更年期も吹っ飛びました。
日本に戻ってきた50代は、ひたすら前へ前へ。生業にしたお菓子教室のレッスンを休むことなく続けました。ファッションは常にきちんとしているように見える黒と白が基本。
60代前半は夢だったニューヨークのお店を具体化するため、すべての情熱を注ぎました。ベストを尽くしましたが、石の上にも3年というビジネスルールを曲げて、2年で閉店。高いレッスンになってしまいましたわ。
そうして65歳を過ぎた私は、思いもよらぬ縁に恵まれ、なんとまぁ、再婚したんです! お肌にはシミもシワもたくさんあるけれど、華やいだ色の洋服を着たり、スニーカーを履いたりするのがおもしろくなって、ただいま変化を楽しむ「サードライフ」が進行中です。
若い頃は黒ばかり着ていたという平野さん。現在の旦那様と暮らすようになり、ピンクの服を着るようになったそう。「年齢を重ねると、明るい色が似合うようになるんですね。自分でも意外です」。
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