いつか必ず訪れる「ペットとの死別」
うさこの死は、ある日、突然、訪れました。
夜、寝ようと思って部屋の電気を消したら、うさこが横たわりながら後ろ足をバタバタと動かしていて、ちょっと様子がおかしかったので、ケージから出してあげました。
私が抱きしめてあげると、落ち着いたので、またケージにいれると、さっきと同じように後ろ足をバタバタと動かし、「出してほしい」というようなアピールをしてくるのです。
再度、出してあげて、私の膝の上に寝そべっているうさこを撫でていたら、うさこは足をピンと伸ばし、少しずつ力が抜けていき、静かに息を引き取りました。
おそらく、最期は私のそばで人生(兎生?)を終えたかったのでしょう。あまりに突然のことだったので、頭では信じられなかったのですが、涙がドバーッと出てきて、心ではそれが「死」であることを認識しました。
平均寿命が7年といわれるうさぎが11年も生きていたので、いつもどこかで死を覚悟しているつもりでしたが、何の前触れもなく訪れると、やはり動揺しました。
ペットって、飼ったことがない人にとっては単なる「動物」に過ぎませんが、飼い主にとっては、子供であり、恋人であり、家族なのです。
そんな愛しい存在を最期は「看取らなくてはいけない」というのは、精神的にキツイ経験です。
よく「ペットを飼うと、死んだときに可哀想だから」と言われますが、このとき、初めてその言葉の意味が分かりました。こんな悲しい思いをするなら、もうペットは飼えない、と思ったくらいです。
ペットと過ごした時間は「人生の宝物」
うさこが亡くなってから数日間は、街を歩いていても、電車に乗っていても、涙が出てしまって大変だったのですが、最終的には、「ここまで悲しいということは、それくらい一緒にいて幸せだった証拠なんだ」と思うようになりました。
失った悲しみよりも、その幸せだった思い出と共に、これからも生きていくしかないのだ、と。
動物を飼うということは、基本、「最期まで見届けること」までがセットです。だから、必ずといってもいいくらいに、「ペットの死の悲しみ」を味わうことになります。
それは、とても辛い出来事ですが、「だったら、飼わないほうがよかったのか?」という質問を投げかけられたら、間違いなく、「No!」と言うでしょう。
うさこと過ごした時間は、私にとって「人生の宝物」です。そんな素敵な時間をくれたうさこに、今でも感謝と愛情を抱いています。
前回記事「「息子をとられた?」義母とライバル関係にならないための秘訣」はこちら>>
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