島では贅沢だと感じる閾値が低かった

雪も多い海士町。息子さんは、冬場は毎日上下スキーウェアで登園し、夏は水着にシュノーケルをつけて磯遊びする生活を送っていました。

「島は大阪とは違って驚くことはたくさんありましたが、びっくりしたというよりは気付かされたことの方が多かったですね。一番は、周りの人の生活の価値観がまったく違うということでした。島の暮らしって、都会ではできないことがたくさんあるじゃないですか。たとえば玄関前で魚を焼くとか、穴だらけのズボンを履いていても人目を気にしなくていいとか(笑)。

島にいた頃は、贅沢だと感じる閾値(いきち)や幸せだと感じる閾値がもっと低かったんですよね。大阪に戻ってきてから、都会では気にしなくていい余計なことをすごく気にしないといけないんだっていう感覚を思い出しました」

 


もう1つ「知らない人との付き合い方も違った」と田仲さんは話します。

「海士町では、島の中で会った人には必ず挨拶しなさいと教えられているので、車を運転していると前から来る中学生が会釈してくるんですね。1年住むと、あの車は誰々さんの車だ、どこに行くんだろうって思うわけですよ。外から来る人は干渉されることに慣れていない人が多いので、悪いことができない環境というのは良くも悪くもありますが、私はそういう感覚の場所で子育てができたことはすごく安心でした」

時には漁協の水揚げを見学することも。


何が本当の豊かさなのかわからなくなった


最後に、2年間の島暮らしについて尋ねるとこんな答えが。

「大阪を離れてみて初めて、消費して生活することが当たり前になっていた自分に気付かされました。生まれた時からずっと物に溢れかえった環境の中で生活してきたので、そもそも疑問にすら思わなくて。でも島に行くとコンビニもないし、すごく困ったのが、自転車が欲しいと思った時に自転車屋さんがなくて買えないんですよ。だからわざわざ船に乗って自転車を買いに行ったり。

大阪にいると、安い物も多いので使い捨ててもいいやっていう感覚に陥りやすくて。でも島には物がないので、古い物を直して大事に使い続ける人が多くて、その大切さを教えられました。生活の価値観がまったく違うので、何が本当の豊かさなのかを考えた時に、途中でわからなくなってしまいましたね。なくてもいい物って実はたくさんあるということにも気付かされた2年でした」

 


生活環境が変わるだけでガラッと変わった価値観


島暮らしをする中で、田仲さんの価値観はガラリと変わりました。

「ある時イワシの稚魚が大量に獲れてしまったことがあって、娘と夜な夜な煮干しにしたんです。その時ふと“こういう経験ってすごくいいな”と。大阪だったら、休みの日に暇ができたらお金を払ってどこかへ行ったり、ブラブラ買い物して時間を潰したり、これまでそういう時間の使い方をしていたのが、何もないところでも遊べる。それってすごく豊かなことだなと。島ではこういう暮らしもあるんだと気付かされることが多くて、移住に限らず、生活環境が変わるだけで価値観がガラッと変わるということを知りました。

娘は結局、帰阪後は元の小学校には戻らず、自分の意思で別の地区の小規模特認校に進むことを決めました。その選択を聞いた時、“島に行って本当に良かった、得たものが大きかった”と心から思えました。息子は通っていたお山の教室に感性を育ててもらったおかげで心が豊かになったと感じます。この2年間は私たち親子にとってかけがえのない時間で、島の人たちには感謝してもしきれません」

春は出会いと別れの季節。港では、毎日のように紙テープを手にした見送りが行われています。2022年3月、田仲さん親子も島の人たちに盛大に見送られ、2年間の島暮らしを終えました。


海士町で出会ったさまざまな景色
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撮影/田仲亜希恵
取材・文・構成/井手朋子

 


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