この時代と寝違えた感じのおおもとを辿っていくと、結局のところ、この数年この国全体に百花繚乱する「もっと自分を愛そう」キャンペーンに原因がある気がする。はっきり言うと、この「もっと自分を愛そう」キャンペーン、僕にとってはだいぶ居心地が悪いのです。
もうさ〜、こちとら39年、自分という人間と付き合ってきとるわけです。自分を愛そうと言われて愛せるものなら、とっくの昔に愛してる。ベタ惚れです。それができないからこうもこじらせまくっているわけで。ようやく開き直って自分のことは嫌いなままでもいいかという境地に辿り着こうとしているのに、その歩みを押し戻すような世の流れ。すごろくのゴール2つ手前くらいで「ふりだしに戻る」マスに着いた気分です。
なんなら卑屈日本代表として絶大な信頼を寄せていた山ちゃん(山里亮太)や若林(正恭)ですらいつの間にか代表の座を降り、健やかな人間になりはじめている。「待って? 一緒にゴールしようって約束してたやん」と中学のときの長距離走で僕を周回遅れにして爽やかにゴールしていった同級生の竹山くんを思い出しました。竹山くんへ。あのときの恨み、今も忘れてはいません。
どうしよう。どんどんみんなが「自分を愛する」星に移住していってる。そりゃあもちろん愛せるものなら愛した方がいいと思います。自己肯定感が高い人って、生命力があるし、嫌なことがあっても引きずらないし。だからと言って、そういうめっちゃ自己肯定感が高いなあという人と一緒にいると元気になれるかと言うとそうでもなく、むしろエネルギーを吸い取られているような疲弊感すらある。「なりたいか?」と言われると「別に……」と首を傾げるのが本音です。本当、どのツラ下げてって感じですけど。
ただ同時に、いい年こいて「自分が嫌いです」って言ってるのもダサいなあという気持ちもあるにはあるのです。周りに気を遣わせるし、いつまでも繊細な自分アピールしているのも面倒くさいというか。「繊細」とか「卑屈」が「感受性豊か」とか「視点が独特」と言い換えてもらえるのはせいぜい20代前半まで。それ以降は、「繊細」や「卑屈」なんて何の評価にもならず、圧倒的に「明るい」「素直」が勝ちなのです。
そうわかっている一方で、今の時代って、40代になったからもうミニスカはやめようとか、50代でアイドルに熱を上げるのはみっともないとか、そういうことを言ってくる方がナンセンスな世の中じゃないですか。だったら、いい年こいたおっさんがいつまでも「自分が嫌いです」とウジウジしているのも見逃してくれよ〜と、これまた屁理屈ばかりが得意な性根の曲がった自分が顔を出してくるわけです。ほら、また自虐。
実際、世の人たちはどんなものなんだろうか。「自分のことが好きですか?」と聞かれて「好きです」と答えられる人はどれくらいいるのだろうか。なんだかんだ言って実は2割くらいなんじゃないの? みんな本当はまったく好きではない自分のことをうまくなだめすかしながら人生をやりくりしているんじゃないの? とギリギリ疑いを持っているんですけど、ね、ねえ、どうなの、ミモレ読者……?(小声)
自分のことを愛せない人は他人のことも愛せないよと訳知り顔で言ってくる人もいますが、そんな人は「うっせえ! ソース出せ!」と横っ面を思い切りぶん殴っていくとして、これはどうやっても自分のことを今いち好きになれない僕が、その自己肯定感の低さから巻き起こるおかしくも面倒くさい日々を綴るエッセイです。
なんでこんなに自分のことが嫌いなんだろうと考える日もあれば、せやかて工藤こんな楽しいこともあるでと思う日もあるでしょう。そんなちょっぴり痛くて、おおむね愉快な毎日と向き合うことで、自分のことを嫌いなままでも、それなりに楽しく、それなりにハッピーに生きていける方法を思考実験していければと思います。こんな駄文が誰の役に立つのかはわかりませんが、と書いたところで、息を吸うようにまた自虐をしている自分に気づき、己に流れる自虐DNAの濃さにおそれおののきました。これ以上、書いてもどんどん自虐の言葉が出てくるだけなので、ひとまず今回はこのへんで。
初回はこんな問いとともに締めくくりたいと思います。
自分のこと嫌いなまま生きていってもいいですか?
構成/山崎 恵
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