誰もが抱えるささやかな「嘘」にまつわる、オムニバス・ストーリー。 

 


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港区タワーマンション怪談【成美の暗転】

 

「とりあえず今夜はもう遅いから……お風呂入って寝なさい。明日また、話そう。ママも頭を整理しておくから」

成美が言葉少なに促すと、マミは赤く腫らした目で頷いてバスルームに入った。時計はすでに23時近くを指している。塾で授業後に面談が始まったのが21時半だったから、たっぷり1時間ほども講師と話し合っていたことになる。

こんなとき、成美はシングルマザー、あるいはマミが一人っ子でなければよかったと強く思う。

2人きりの家族では、お互いがその「役割」から降りられない。唯一の保護者である成美は、どうしたって正しい答えを探し当てて掲げなくてはならないし、マミは親に従う子どもという立場から逃げられない。遊びが、余白がない。

「中学受験の直前期、娘が塾でカンニングをした」というシーンで、それを茶化すにはあまりにも役者が少なかった。

成美にできる精一杯のことは、時間を稼いで、話し合いまでにできるだけ冷静になること。

別れ際の、事情を知ってしまった多香子と明菜の視線を思い出すといたたまれない。3人の子どもたちの志望校は同じだったが、マミが一番、合格に近いはずだった。成美はどちらかといえばいつもいい立ち位置で、余裕のない2人をなだめる役だったはず。

リビングのソファにへなへなと座りこんで、成美は初めて、まだ自分は夕飯を食べていなかったことに気が付く。

どのくらい時間が経ったろうか。リビングのドアがそうっと開いて、パジャマを着たマミが音もなく、入ってきた。