――小説家としてのキャリアも30年を超えたという事実に驚いているのは、他ならぬ谷村さん自身。

谷村:こんなに長い間書き続けられたのは、本当のことを言うと、下手だからだと思うんです。次はもっとうまく書けるんじゃないかと思うし、前の小説では書きたくても書けなかったことが積み重なっていきます。『移植医たち』では、もっと人間味を出したかったし、『セバット・ソング』では、書いている時は次々と子どもを生み、男性の言いなりになる女性に対して疑問があったものの、時間が経つにつれ、そういう女の人の気持ちもわからなくはないなと思えるようになってきました。こうした気付きが、今回の『過怠』につながっていったと思うんです。

『過怠』¥2090/光文社

――辛い30代をもがき苦しみ、それでも小説を書き続けた谷村さんは、40代後半から50代にかけては、「すごく楽しかった」と話します。

谷村:いろんな経験を積んで、自分ができることが増えたからじゃないかと思うんです。生きる力がついてきたというか、若い時にはすごく狭く見えていたものが、ずっと広がっていったというか……。自分に引き出しが増えていき、本当に楽しかったんですよ。

 

――一方で、50代には父や母との別れも経験しました。

谷村:両親の最期を看取り、人生の終わり方について考える機会をもらいましたし、残される子どものことを考える機会になりました。悔いがあるとしたら、父や母にひどいことを言ってしまったことがあったな、ということです。両親は、子どもとはそういうものだと許してくれていたかもしれないけど、今となってはもう伝えることはできません。まだ親と別れていない人たちに言いたいのは、元気なうちに伝えたいことは伝えておいたほうがいいということ。もし、そういうことができなくても、自分が生まれた日の父や母はどんな顔をしていたのか、ということに思いを馳せるだけでも気持ちが違ってくると思うんです。