恋愛において正義を気取るようなつまんない人生には、文学も必要ない


デビュー作以降、多くの恋愛小説を描き続けてきた山田さん。時にそれらの作品は、小説としての出来不出来とは別の尺度で語られることも多かったようです。『私のことだま漂流記』では、主に初期の作品で経験したバッシングについても書かれています。

 

山田:「こんなこと書くなんて不道徳だ」とよく言われたんだけど、初期の頃の作品は今も結構増刷されてるんですよ。なんでもずっと続けていると形になるもんだし、そろそもお家芸みたいな感じになってきたかも(笑)。でももし若い小説家が同じように書いたら、結構言われるかもしれません。最近は時代が戻ってきてる感じがすごくするし。

戻っている時代を支配するのは、言うところの「ポリティカルコレクトネス」。SNSで多くの人が自由に発言する時代の「道徳」です。20年以上前に書かれた『A2Z』が、今、映像化されるのも、それと無関係ではないかもしれません。実は山田さんは、2021年にも「いわゆる不倫」を描いた小説『血も涙もある』を書いています。

 

山田:『A2Z』を書いた時はそうでもなかったんだけど、最近また世の中がどんどん厳しくなってきて、配偶者がいる人の恋愛に世の中みんなが石を投げるじゃないですか。『血も涙もある』を書いたのは、まさに芸能人の不倫がばっさりやられていた時期で。断罪する人たちは「自分はやらない」という前提でやっているんでしょうが、そんなのつまんない人生だろうなって思っちゃったんですよね。

そもそも山田さんはポリコレを声高に語る人を信じていません。確かに「戦争反対」や「Black Lives Matter」には同意しても、隣で転んでいる人は助けないというのは世間にありふれた話です。狭い世界しか知らず、言いたい放題に言えるのはSNSだけーーそんな人の批判は、まったくもって気にしていません。「つまんない人生だろうな」と思うのは、実は全然別のことです。

山田:恋愛ってすごくプライベートなことであって、他人に裁かれるような筋合いのものではありません。それを断罪する人の根本にあるのは、嫉妬じゃないかと思うんです。「できない自分」として自分を落とすよりも、「自分はやらない」と正義の味方を気取るほうがいいから。でも恋をしているときに「正義」なんて持ち出されても、正直言えば「バカみたい」としか思えない。そういう人には文学も必要ないんだろうなと思います。小説を楽しむって、自分にできない体験を「こういう世界もあるんだ」と素直に感じることだから。文学は、道徳や倫理なんてものとはまったく別のところにあるものなんですよ。