「どんなふうに人生の最期を迎えることが幸福なのか」。超高齢化社会になった今の日本で社会問題になっているテーマです。あなたはどこで、誰に看取られ、どんなふうに最期を迎えたいですか。病棟看護師として多くの患者さんの看取りをし、自身も家族の看取りを経験した漫画家の明(みん)さんの作品『いのちの教室 あなたの最期が私に教えてくれたこと』には、11人の患者さんやご家族の死と看取りが描かれます。

物心ついてから身近な人の死に直面しないまま、看護師になった明(みん)さん。彼女が誰かの「死」を強く実感したのは、新人時代から長く接していた患者・仙田さんが亡くなった時でした。彼女は心臓の手術から30年、心不全で何度も入院してもなんだかんだですぐ退院し、入退院を繰り返していました。

 

気さくな性格で、明さんは新人の頃からよく「採血失敗してもいいよ」などとからかわれていました。だから、今度の入院でもまた元気に帰るのだろうと思っていたのですが⋯⋯。
容体が悪くなってゆく仙田さんにちょっと寂しさを感じていた明さんでしたが、彼女が亡くなった後、自分の心にぽっかりと大きな穴が空いたことに気づきます。「こんな気持ち はじめてだった」それから、彼女は多くの患者さんの「生」と「死」に接し、その意味について考えるようになります。本編から印象的なエピソードをいくつかご紹介します。

 

同じ「死」なのに明と暗、対照的な二人の最期


同居の妻から「いつもみたいに飲んだくれて寝てるんだと思ってた」と家の中でほっとかれた末に亡くなった今井さん。家族みんながベッドの周りに集まり、「ありがとう」「楽しかったよ」と惜しまれて亡くなっていった近藤さん。

 

対照的な二人の患者さんの最期に遭遇した明さんはこう思います。

同じ「死」なのに 同じ看取りなのに
その違いはなんだろ


どんな最期が幸せなのかは人それぞれ


患者さんの中には積極的な治療を望む人もいれば、望まない人もいる。本当は手術もリハビリもしたくなかった90歳の村田さん。「長生きしてね」と言う家族には言えなかった本音を術後に語りました。

 

夫が亡くなった時、十分な看病と治療ができなかったのを後悔している息子さんの気持ちを優先させた村田さんでしたが、彼女自身は静かに余生を送り、最期の日を迎えたかったのでしょう。どんな最期が幸せだと感じるかは人によって違う、と実感させられるエピソードです。


看取りは本人だけで決められない


治療だけでなく看取りも、本人だけの問題ではない。家族の生活にも大きな影響を与えます。誰か一人に看病の負担がのしかかることもあるのです。家族以外の人に看られるのは嫌だから自宅で最期を迎えたい、と望む末期がんの父親に対し、娘が溜め込んだ怒りを爆発させます。

 

病室でも偉そうにしている父親を見て、パパがいたらママも私も大変なの! と訴える娘は、ずっと自宅で看病をしていたらパパを嫌いになっちゃうかもしれない、ママも自分もみんなを守りたかったのだ、と言いました。「俺は家族のために頑張ったのに⋯⋯」と泣く父親。娘と父親、双方の思いに心がちぎれそうになるエピソードです。

自分がどこで誰に看取られ、どんな最期を迎えたいか。そこには正解はないし、必ずしも希望が叶うとは限らない。作中で、最期の時を「その人の選んだ道の答え合わせみたい」と明さんが思う場面があるのですが、ここでドキッとする人もいるのではないでしょうか。人生の最期を考えることは、どう生きるかを考えること。人生の終わりに「これで良かった」と満足できる生き方をするにはまだ間に合うよね、と我が身を振り返りたくなる作品です。

 

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<作品紹介>
『いのちの教室 あなたの最期が私に教えてくれたこと』
明 (著)

看取り方、看取られ方に正解ってあるのかな? 超高齢化社会のいま、どのような最期を迎えることが幸福なのかは、大きな社会問題にもなっています。病棟看護師として多くの死を看取り、また自身の家族の看取りの経験もした、「漫画家しながらツアーナースしています。」シリーズの著者が描くヒューマンコミックエッセイ。


<作者プロフィール>
明(みん)

漫画家・看護師。「漫画家しながらツアーナースしています。」シリーズ(集英社)のほか、『リヒト 光の癒術師』(小学館クリエイティブ)『Ming短編集』(ナンバーナイン)などがある。
Twitterアカウント:@rikukamehameha


構成/大槻由実子
編集/坂口彩